博多ロック編<183>幻の「バイキング」

春日米軍基地内で演奏する「バイキング」(右が田中、ボーカルは福田純太郎) 拡大

春日米軍基地内で演奏する「バイキング」(右が田中、ボーカルは福田純太郎)

 福岡市・渡辺通りの「三角市場」の一角にソウルを聴かせる「JB’sBAR」がある。「JB」はソウルシンガー、ジェームス・ブラウンの愛称だ。

 「JBが『福岡にオレの店がある』と喜んだ」

 JBの福岡公演から親交を深めたマスターの坂東武士(69)は語る。JBはこうも言った。

 「坂東ブラザーズの長男にしてくれ」

 武士は坂東6人兄弟の3男。長男の宏明(故人)は、武士が「幻のバンド」と呼ぶ「バイキング」のマネジャーを一時期、していた。

 坂東一家は旧満州(中国東北部)から引き揚げ、三角市場で食料品店を立ち上げ、洋品店を経て、19年前に今のバーを開いた。宏明はソウルファンで店の2階の住居でレコードを聴かせた。「バイキング」のメンバーだけではない。末っ子と同級生だった少年の山善(山部善次郎)が洋楽と遭遇したのもこの場所だった。

    ×  ×

 「ここの洋品店でバンドの服を作ってもらいました」

 「バイキング」のリーダーだった田中攻(68)は言う。同じ旧満州からの引き揚げ組である田中は高校時代に「ベスパーズ」を結成、ドラムを担当した。

 「家では本物のドラムだと音がうるさいので新聞紙を叩(たた)いて練習をしました」

 卒業後、1966年ごろに結成された「バイキング」に入った。メンバーの入れ替わりが激しかった。

 「新メンバーが入ると一からまた合わせなくてはいけなかった」

 「バイキング」は約4年間の活動で、メンバーによって第1期から4期まで分かれる。田中が「ベスパーズ」から「バイキング」に入るのが2期からで、4期まで残るのは田中と後に「サンハウス」にピックアップされるベースの浜田卓(故人)だ。

 「バイキング」は福岡市内のダンスホール「赤と黒」「フォーカス」のハコバンドを振り出しに福岡の板付、西戸崎、春日の米軍基地へと演奏の主舞台を変えた。

 ベトナム戦争(1960~75年)時代、九州の米軍基地は兵(へい)站(たん)の補給地であり、米兵のための娯楽、慰安として「音楽特需」もあった。

 特に補給の中心だった米国占領下の沖縄には全国から日本のバンドが集められた。福岡からは「バイキング」をはじめ「アタック」「サンジェルマン」が行った。約3カ月の滞在、ギャラはドル払い。

 「白人と黒人の音楽の好みが違い、100曲くらい手持ちがないと追いつかなかった」

 ソウル、ブルース、ロック、ジャズ…。

 「好きな曲をやるというより、客受けを優先していた」

 「バイキング」は米軍基地で鍛われた。「濃かった」。田中が言うように、博多ロックの前史を駆け抜けたバンドだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/11/25付 西日本新聞夕刊=

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