【人の縁の物語】<43>認知症の母と24年(下) 言葉なくとも育てられ 長崎の藤川さん

 24年にわたる介護生活を作品にしたためてきた長崎市の詩人、藤川幸之助さん(51)=「上」は19日掲載。昨年9月末に逝った母キヨ子さん(享年84)は、人生の3分の1を認知症として過ごした。つまり藤川さんは、人生の半分を認知症の母に寄り添ったことになる。

 自宅で見せてくれたキヨ子さんの遺影。認知症になる前の笑顔の写真の隅に、認知症を患ってからの小さな写真が挟んであった。藤川さんにとって「一番、母らしい写真」であり、その姿を「天衣無縫の母になった」と表す。そんな思いは詩作「遺影」「愚かな病」などににじむ。認知症の母を「恥ずかしい」と思っていた藤川さんの心は、どうして変わったのか。

 2000年、キヨ子さんを実家のあった熊本県から長崎市の介護施設に移した。これを境にキヨ子さんは言葉を失い、食べられなくなる。藤川さんの判断で胃に穴を開ける胃ろうを施し、寝たきりになった。

 弱っていく母を前にして、紙オムツを替えながら、かぶれないように気遣う自分がいた。少し前には考えられなかった配慮。認知症の母は自分を悩ませる存在ではなく、言葉はなくても人間性を引き出され、育てられていると気付いた。

 肺炎が続いて入院すると、世話の必要がなくなった。そんなとき、知人から「ホスピスの患者は『ただ家族の気配を感じていたい』と願っている」と聞いた。

 母の傍らに座り、手を握り、まなざしを向けた。親指は動く。言葉こそないが、母は厳然と存在していた。目の前の人間を見つめることを忘れていたのかもしれない。ただ寄り添うことを、藤川さんは「月の介護」と表現している。

 施設に預け、距離感を保てなければ「こんなに優しくできなかった」とも語る。自分自身にまなざしを向けることも介護生活には必要だった。

 母の死後、年間約70回の講演に全国を走り回る。キヨ子さんとの日々を伝え、こう語る。「それぞれの心の器に合わせた介護がある。無理せず、人に任せても、愛する気持ちが変わらなければそれでいい」

 藤川さんの詩集は既に10冊以上。認知症の母がいなければ生まれなかった。自分を成長させるため、母は命をつなぎ、父は母を自分に託したと理解している。そして今、認知症の母との日々を拒まなくてよかったと、心から思っている。

 ▼ふじかわ・こうのすけ 1962年、熊本県生まれ。著書に「まなざしかいご」「満月の夜、母を施設に置いて」など。最新詩集は「徘徊(はいかい)と笑うなかれ」(中央法規出版、1400円)。長崎市在住。

=2013/11/26付 西日本新聞朝刊=

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