博多ロック編<184>実力派の「スマッシャーズ」

「スマッシャーズ」のメンバー(中央が小河)=「フォーカス」の楽屋裏で 拡大

「スマッシャーズ」のメンバー(中央が小河)=「フォーカス」の楽屋裏で

 「名前を教えて」。初めてのステージで突然、若い女の子からこう言われた。福岡生まれの小河克己はバンド「スマッシャーズ」の人気の高さを知った。小河がこのバンドに入ったのは1969年の5月、福岡大の学生だったころだ。音楽仲間からの仲介だった。

 「キーボードが抜けたので1週間でいいから」

 「キーボードは弾けない」

 「構わない。弾く真似だけをしておけば大丈夫だから」

 小河は高校時代に父親から「不良にならないように」とギターと「ベンチャーズ」のレコードを与えられた。GS(グループサウンズ)の全盛時代。小河も早速、バンド「WE4」を結成した。

 福岡市の博多駅前のダンスホール「フォーカス」が初舞台だった。言われた通り、弾く真似をした。至近距離には「スマッシャーズ」のファンクラブの女の子たち。名前だけでなく、サインを求められた。

 「その日、楽屋裏でサインの練習をしました」

 手紙ももらった。

 〈私は地方から集団就職で福岡に来て、果物店で働いています。同じ、地方から出てきた『スマッシャーズ』の演奏を聴くと元気が出ます〉

   ×    ×

 「スマッシャーズ」は大分のバンドで、メンバーは中学時代にはブラスバンド部に所属し、音楽、美術専門の芸術緑丘高校に通っていた。バンド歴は4年。渡辺プロのスカウトによって高校を中退し、上京する予定だった。

 その話は暗礁に乗り上げた。68年、福岡で「途中下車」する形になった。渡辺プロ九州支社系列のプロダクションに所属し、この店で演奏するようになった。小河の加入で博多の地と血が入り、正式メンバーになった。

 「死にもの狂いで練習した。演奏後、毎日、朝4時まで」

 音楽の基礎知識があるバンドだけに、聞いたレコードをすらすらと譜面にすることに驚いた。キーボードにはマジックでドレミとコードが書かれ、小河の指はいつも真っ黒になった。

 さらに驚いたこともあった。同じ福大生で顔見知りの柴山俊之が初めて「小河君」と言った。

 「おい、小河が、君付けになった」

 柴山の「スマッシャーズ」への礼儀だった。

 他のメンバー3人は美野島のアパートで共同生活をした。全員の体重は50キロ弱。各自の食料-ラーメンには取られないように番号を書いた。ファンが来ると恋人を押し入れに隠した。差し入れはおにぎりが多かった。

 ロックやGSから時には民謡もこなした。ただ、柴山たちが見学に来るとGSを止めて「どうだ」と「レッド・ツェッペリン」の最新曲を演奏した。

 鮎川誠は「私が地元で尊敬していたバンドは『バイキング』と『スマッシャーズ』だった」と語る。

 実力派の両バンドがタイ(対)バンとして中洲の「プレイメイト」で一緒にステージに立つのはダンスホール時代-ハコバンドの終焉のころだ。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2013/12/02付 西日本新聞夕刊=

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