【人の縁の物語】<45>避難ママの千日(上) 東京→福岡 あやもさん 幸せの意味 考え続け

 ■3・11 忘れない■ 
 東日本大震災が引き起こした原発事故で拡散した放射性物質から子どもの健康を守ろうと、福島県や関東地方から九州に移住した母親たちがいる。あの日から千日が過ぎた。どんな思いで暮らしているのか。「避難ママ」の姿を追った。

 4歳と2歳の男児2人はやんちゃ盛りだ。取っ組み合いのけんかも絶えない。「うちの子、公園でも目立つんです。でも、子どもらしくていいでしょ」。外で自由に思いっきり遊ばせたい-そんな気持ちが、あやもさん(31)を東京から縁もゆかりもない九州へと足を向かわせた。

 福島第1原発事故の直後、住んでいた都内の浄水場から基準を超える放射性物質が検出された。当時2歳の長男の入浴をためらい、うがいもペットボトルの水を使った。原因不明の鼻血と下痢が続き、放射性物質との関連を聞いても医師は取り合ってくれなかった。

 三つ年上の自営業の夫に移住を相談すると「何をやっても無駄だ」と一蹴された。友達も「おかしくなったんじゃない?」と遠ざかった。「安全」を繰り返す国と「危険」を訴えるインターネット情報。心が揺れた。

 「逃げない理由もつくれるけど、後悔は嫌。貧乏でも子どもたちと生きていこう」。2人目を身ごもったまま結婚生活は2年で破綻。「銀座や渋谷みたいなスポットもある」と聞いた福岡市を移住先に選んだ。「ママはパパとバイバイしたからね」。2011年7月、長男の手を引き、福岡空港に降り立った。

 荷ほどき、区役所への相談、養育費の請求…。暮らしが落ち着き、臨月を迎えた秋、反原発の講演会場で、同じように自主的に移住してきたママたちと知り合った。博士号を持つ主婦、教員、ファイナンシャルプランナー。これまでなじみのなかったタイプの人々。

 10代からレゲエが大音響で鳴り響く都内のクラブに通い詰め、「勉強は嫌いだったから」と高校は通信制で済ませた。「遊んでばかりいた昔は、何となくバカにしていた人たちだけど…」。新たな出会いで生き方が変わった。「友達は5分の1に減ったけど、福岡に来て、ほんと良かった」。仕事ができるように車の免許、食品衛生管理者、防火管理者の資格も取った。

 福岡市で11月にあった「さよなら原発」集会ではテントを出し、母子家庭のための情報を書き込むノートを九州7県ごとに作った。「きっと、情報がなくて移住に悩んでいる人たちの助けになる」からだ。

 使っているベビーカーに「NO NUKES」(原発不要)と刺しゅうしているが、シュプレヒコールを叫ぶデモ行進は楽しくないから苦手だ。「音楽を流し、子どもたちがプラカードを持ったり、踊ったりする方が共感されるはずなのに」

 最近、ママたちの政治勉強会とは距離を置いた。長男が何げなく漏らした「安倍晋三って悪い人なんだよね」の一言にギクッとしたからだ。自分は今の政治に批判的だが、子どもの考えが偏るのは怖い。「臭い物にもふたをせず、いろんな立場の人の意見を聞き、自分で判断する大人になってほしい」と願う。

 あの震災で大きく軌道を変えた人生。生きることや幸せの意味を考え続けている。「まずはお金で何でも済ませようとする生活を変えなくちゃ」。自分たちで食べ物を作って暮らせる田舎の古民家を探している。


=2013/12/10付 西日本新聞朝刊=

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