【人の縁の物語】<46>避難ママの千日(下) 福島→北九州 塚本さん 国変わると信じ活動

 ■3・11 忘れない■ 
 社会的な問題に特別な関心があったわけではない。国の施策や学校現場に口を挟むこともなく、「むしろ黙っているのが得策と思っていた」。2011年3月の福島第1原発事故から千日が過ぎた今、ピアノの取り持つ縁で北九州市に移り住んできた塚本神子さん(48)は、そんな自分が一変しているのに気づく。

 「先生、まだいんの? 国なんか信じちゃダメだよ。お願いだから逃げて」。事故の数日後、原発から南へ約40キロ、福島県いわき市にあった自宅で、ピアノを教えていた生徒から電話を受けた。「本当に危なかったら国が市に伝えるはず。市役所職員の夫も何も言わないのに、大げさね」

 不安を抱いたのは、5年生だった長女の小学校が始業式を迎えるのに除染されていないと知ってから。校長は「何も言われていないので除染はしない」の一点張り。校庭の裏山や運動場の側溝の放射線量は国の基準を大きく上回っていた。

 長女に休み時間も外に出ないように言った。次第に仲間はずれにされた。「保護者の意見が二分し、子ども社会にも及んだ。原発事故がもたらした悲劇の一つ」

 この土地は安全なのか、判断材料が欲しくて市役所に日参。汚染された廃棄物の処理について情報公開を求めても、市の担当者は「直接関与していないので分からない」とにべもない。

 チェルノブイリ原発事故時の健康被害について調べ、夫に移住の思いを打ち明けた。「俺の仕事と生活はどうすんの」と夫。「親として子どもの健康を守りたい」と離婚を申し出て、「ママについていく」と言ってくれた長女、高校生の長男と福島を出た。

 国や東京電力から補償を一切受け取っていない自主避難。5歳から一緒だったピアノを持ち込める住居を探していたところ、被災者支援団体「絆プロジェクト北九州会議」が願いを聞き届け、北九州市に住むことになった。

 ただ、市は宮城県石巻市のがれき受け入れを表明。懸念を抱き、福島から来たことを明かし、反対署名を募った。拒まれることも多かったが「福島から来たん? ミカン持っていき」と気遣いも受けた。

 がれき焼却が終わった今、ごみ焼却施設やPCB処理施設の周辺で環境問題の小さな勉強会を重ねる。住民側が知る権利を行使し、管理態勢に目を光らせておくべきだと考えている。まずは家庭ごみの減量など足元の問題から。「偉そうなこと言い過ぎかしら」と思いつつ、「無関心だった身近な原発に暮らしを奪われた」という反省を込めて。

 「ママのやってることは絶対無駄にならないよ」と支えてくれる長男が大学に進んだら、また引っ越すことになりそうだ。原発を重視する国の政策は不変だが「気が遠くなりそうだけど、少しでも変わると信じたい。各地で伝道師みたいに小さな活動を続けていくのが役目だと思う」。

 最近、ピアノ教室を再開した。幼児ら3人の生徒と無心に向き合う。そのひとときだけ、かつての日常、自分に戻る。


=2013/12/17付 西日本新聞朝刊=

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