博多ロック編<187>すべてが新しい朝

「サンハウス」時代の鮎川(左)とシーナ 拡大

「サンハウス」時代の鮎川(左)とシーナ

 「世界のすべてが違って見える」
 
 シーナがこう感じたのは1971年、高校3年の夏の朝だった。福岡市・春吉の通りを散歩していた。一人ではない。横には結成されたばかりのバンド「サンハウス」のギター、鮎川誠が歩調を合わせていた。

 そのギターが運命の赤い糸だった。前夜、市内のダンスホール「ヤング・キラー」に入った。「サンハウス」が演奏していた。

 「あれ、この曲は?」

 英国のブルース・ロックバンド「ジェスロ・タル」の「ブーレ」。「ブーレ」はバッハの曲で、それをアレンジしたものだった。

 シーナは数日前、京都に旅行していた。四条河原町のジャズ喫茶「ブルーノート」でかかっていた曲が「ブーレ」だった。鮎川の荒々しく、そして魂のこもったギター。

 「感覚もいいし、かっこいい。素敵な人だ」

 予感を感じた。

 「ギターの人を呼んで」

 「サンハウス」のドラム、浦田賢一に頼んだ。やってきた鮎川に言った。
「友達になって」

 その夜、鮎川とシーナは鮎川が下宿していた春吉にある叔母の家で時間を忘れ、語り合った。

 春吉を散歩中、シーナは「このあたりに下宿しようかな」と思った。そのとき、目の前に張り紙。「下宿有ります」。3畳一間。二人の生活がスタートした。家主の飼っていた九官鳥の声がシーナにはおかしかった。

 〈モシモシ、ソレガデスネ、アレガデスネ…〉

 ×   ×

 シーナは北九州市・若松生まれ。音楽に関しては超のつくほどおませだった。父が米軍基地に自由に出入りできる仕事をしていた。小学校6年ごろから父の持ち帰る洋楽のレコードを聴き、ときには父の社交ダンスの相手もさせられた。

 中学校のときに同市の八幡市民会館に「タイガース」のコンサートに行った。母が「腹がすくから」と会場におにぎりを持ってきた。呼び出しの場内アナウンスが流れ、補導中の先生にばれた。同市の小倉市民会館での「スパイダース」でも学校にばれ、仲間はビンタをもらった。「家を出よう」。約束した集合場所に仲間たちは来なかった。

 スーツケースを買い、一人で上京した。新宿のライブハウス「アシベ」に行くと「お前たちは帰れ」とホースで水を浴び、すっかりGS(グループサウンズ)の熱が冷めた。

 高校時代になっても小倉のジャズ喫茶「アベベ」やダンスホールにも通った。レコードを大音量で聴き続けるため、ヘッドフォンが数日間で壊れた。筋金入りの音楽少女だった。

 鮎川は「男女を超えた最高の話し相手」と言うように友達であり、恋人であり、ロックの同志だった。シーナは鮎川の側で「サンハウス」の進化を目撃する。

 「サンハウス」が解散した1978年の11月22日。九州大学の箱崎祭で鮎川とのバンド「シーナ&ロケッツ」としてデビューする。ステージの幕を身にからめてシーナは祈った。

 「私はここで生まれ変わる」

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2014/01/06付 西日本新聞夕刊=

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