ダモイが唯一の希望であり、願いだった 言葉を刻む(60)

友好紙 社会面

ダモイが唯一の希望であり、願いだった

 (徳島市、田中一利さん)

 満州(中国東北部)開拓の即戦力として創設された満蒙開拓青少年義勇軍。周囲の反対を押し切って14歳で志願し、使命と夢を抱いて渡満した。しかし、太平洋戦争で日本が敗れると極寒のシベリアに抑留され、奴隷同然の強制労働を強いられた。「ダモイ」とは、看守が労働前によく口にした「帰国」や「帰還」を意味する現地の言葉。しっかりと働けば日本へ帰れると信じていたが、なかなかその日は訪れなかった。極寒の地と劣悪な住居、粗末な食事、長時間の力仕事…。抑留生活は19歳から4年間続いた。

 =2015年徳島新聞取材、当時89歳

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