博多ロック編<188>ブルースにとりつかれて

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小冊子は毎回、作成した(左が1回目)

 福岡市博多区須崎のロック喫茶「ぱわぁはうす」で4人の若者がガリ版印刷をしていた。店主の田原裕介、アルバイトの松本康、「サンハウス」の柴山俊之、鮎川誠。謄写版は塾をしていた松本が問題集を作成するために購入したものを、店に持ち込んだ。

 「サンハウス」は1970年に「ブルースをやろう」と結成された。その流れの一つとして始まったのがブルース研究の自主講座「ブルースにとりつかれて」だ。1回目は1972年12月。特集は「マディ・ウォーターズとチェスレコード関係」。

 「講座には小冊子がいる」と言い出したのは明善高校時代、新聞部だった鮎川だ。ガリ版印刷はその講座の教科書、テキストともいえる小冊子作りだった。ガリを切り、印刷し、綴(と)じる。すべて手作業だ。その作業の前に、特集に合わせた音源つくりは店近くに住んでいた鮎川のアパートだった。メンバーが持っているレコードをかき集めて、オープンリールのテープに録音していく。1回目は90分テープ3個分の全80曲。そのリストも小冊子には掲載した。

 日曜日の昼間。鮎川を講師にして、数十人の客を前に講座は進行する。

 「ここの聴きどころはこの部分」

 「スライドギターはこう弾くと…」

 補助役の松本が鮎川の解説に合わせてテープデッキを操作しながら曲をかけては止め、止めてはかける。4~5時間の濃密な時間が店に流れていく。

 講座は毎月1回。1974年7月の19回まで、休むことなく続いた。初回の小冊子の冒頭の「ごあいさつ」で、田原はその趣旨をこのように書いた。

 「いま活躍している、有名になっている多くのロックバンドがやっている音楽の基本になっているのはブルース(黒人ブルース)であり…」

   ×    ×

 エリック・クラプトン、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどブリティッシュロックの基本はアメリカの黒人音楽のブルースである。「ぱわぁはうす」でのブルース講座はロックの源流へ遡(そ)上(じょう)する旅であった。多くのロッカーがその旅で発見したものはなにか。松本は「ビートとスピリットだ」と言う。抑圧された黒人の魂の、孤独の叫びがブルースである。自由、
解放を求める精神を8ビートにのせて表現した。

 「サンハウス」は自主講座でブルースを研究する一方で、実践として演奏した。田原は練習の場として「ぱわぁはうす」の鍵を柴山たちに渡すのだ。店の開店の昼ごろまで勝手にタダで使うことができた。鮎川が「早起きロック」と言うように、「サンハウス」は朝8時から昼ごろまで毎日、練習した。

 ブルースはミシシッピ川の河口で生まれた。那珂川の河口で「サンハウス」のブルースのビートを持ったロック=ブルース・ロックが生まれようとしていた。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/01/20付 西日本新聞夕刊=

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