博多ロック編<189>イベンターの登場

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 北島匡は西南学院大を卒業しても定職につかなかった。決まりかけていた職を蹴った。学生運動、ヒッピー文化などの時代の波を受けての意識的なドロップアウトともいえた。先輩の家に居候した。福岡県・柳川の実家に近い伝習館高校時代は美術部だった。「画家になりたい」とも思っていた。

 先輩の家は福岡市・西中洲で明け方までのナイトレストラン「ピコ」を営んでいた。そこでバイトをするようになった。北島はまず有線放送のスイッチを切った。代わりに好きなロックのレコードを流した。

 「レコードはそんなに持ってなかったが、客がどんどん持ち込んできた」

 客は中洲で働くバンドマンや女性、学生、そして板付基地の米兵…。

 「米兵たちが台湾で買った洋楽の100円の海賊版を30枚、50枚とお土産に持ってくることもあった」

 ある日、福岡大の学生が相談に来た。
「学園祭でコンサートをやれないか」

 北島は1970年に公開されたドキュメンタリー映画「ウッドストック-愛と平和と音楽の3日間」を中洲の映画館で何度も観ていた。ウッドストック・フェスティバルは米国で行われた歴史的な野外コンサートで約40万人の聴衆を集めた。北島の頭にはこのコンサートがあった。

 「どうせなら、一番大きなところでやったらどうか」

 北島は「夢実行委員会」を九州大、西南学院大、福岡大などの学生と立ち上げた。

 これが同市・南薬院の「九電記念体育館」で1972年5月3日に行われた8時間にわたる「夢でよかった ええじゃないか-フォーク・ロックコンサート」だ。

   ×   ×

 出演者は加川良、高田渡、三上寛、泉谷しげる、頭脳警察、井上陽水など。入場料は前売り500円、当日600円。

 チケットは2、3週間前になっても売れ行きは悪かった。スタッフ約30人に北島は半ば本音で言った。

 「大赤字になりそうだ。一人5万円を負担してもらう」

 杞憂(きゆう)だった。10日前からチケットが動き始め、当日は約7千人が会場を埋めた。黒字。

 「スタッフで5万円ずつ分けました」

 北島は「一回きり」と思っていた。「もうしないのか」。要望が届く。同市・地行の木造モルタルの安アパートを事務所にしてイベント会社「夢グループ」を立ち上げた。ある日、マジックで書かれた表札の「グループ」の所が二重の棒線で消されて「本舗」といたずら書きされた。「夢本舗」。福岡で初めてニュー・ミュージック系のイベンターが誕生した。

 「儲(もう)けを考えるより、終わった後の打ちあげが楽しみだった」

 北島は福田英二たちと次々にコンサートを打ち、博多ロックを支える。ミュージシャンたちと同世代のイベンターの登場によって福岡の音楽シーンはダイナミックに回転し始めた。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/01/27付 西日本新聞夕刊=

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