【自由帳】大切なものが見えない

 かつて村人たちはキツネによくだまされた。笑い話として各地に残る。ところが、1965年ごろを境に、この伝承が聞かれなくなるという。群馬県の山里で暮らす哲学者、内山節さんが著書「『里』という思想」につづっている。

 内山さんは「この時期を境に、キツネが人をだます『隣人』ではなく、単なる自然の動物となり、キツネと人の物語が生まれなくなった」と考える。なるほど、昭和30年代の高度経済成長期、人々の暮らしは目に見えて豊かになっていくが、見失う世界も広がっていったのだろう。豊かさの転換期でもあったと、考えさせられる。

 福岡市で先日あった、いじめ問題をテーマにしたシンポジウム。「いじめの透明化」という一つのキーワードを聞きながら、その話を思い出した。

 発言したのは和歌山大の松浦義満教授(教育社会学)。大津市の中学2年の男子生徒がいじめ自殺した問題で、市の第三者調査委員会の委員を務めた。

 「顔に落書きされる」「友人の前でズボンを脱がされる」「好きな女生徒に告白を強要」「成績表を破られる」「3階教室の窓から、体を突き出すよう強要(自殺の練習)」

 聞き取り調査で明らかになったいじめは、目を覆うばかりだ。大半が教師の見えない所で実行されているとはいえ、なぜ教師たちは異変に気付けなかったのか。その複合要因の一つとして挙げたのが「いじめの透明化」だった。

 人は、どうにもならない困難な状況に直面すると、「選択的非注意」(現象に対する反応の鈍化)に陥りがちで、松浦教授は「(教師たちは)いじめがあっても、自然や風景の一部としか見えなくなっていた」とみる。その現象は「繁華街を繰り返し歩いていると、ホームレスが見えなくなる」という心理にも似ているという。

 大津市のいじめでは、男子生徒のクラスは学級崩壊の状態にあり、混乱の中にいじめは埋没していた。それでも保健室の養護教諭は危機意識を持ち、担任らに指導を求めたが、教師たちの目には「やんちゃ」「プロレスごっこ」と映り、いじめは透明化した。

 子どもの心が見えない、いじめが見えない、先生が見えない…。

 会場で隣り合わせた女子大学生(22)は、小学6年、中学1、3年の時にいじめを受けたという。心ない言葉やホチキスの玉を投げつけられたり、給食でいじわるされたりした。

 「あの時、リストカットの手前で踏みとどまれたのは、1、2人だったけれども、『ムカつくよね』と声を掛けてくれた同級生がいたから。あー、ちゃんと私を見てくれている友達もいるんだって」

 ただ、彼女もまた、加害者、聴衆(面白がってはやし立てる)、傍観者(見て見ぬふりをする)の側に回ったこともあるという。女子大生は「そんな私だから、子どもたちの小さな変化にも気づいてあげられるんじゃないか」と、小学校教諭を目指している。

 そういえば童話「星の王子さま」(サン=テグジュペリ)で、王子に出会ったキツネは別れ際にこう話す。「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」

=2014/01/28付 西日本新聞朝刊=

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