「物言わぬ語り部」被爆資料の今 進む劣化、人手不足…課題直面

友好紙 社会面 西田 昌矢

 長崎市と広島市の原爆資料館は、それぞれ数万点の被爆資料を収蔵している。その一つ一つに原爆の熱線や爆風のすさまじさが刻まれ、75年前の惨劇、死者の無念、遺族の悲しみを伝える。だが、資料は劣化が進み、人手不足や収蔵スペース確保などの課題にも直面している。「物言わぬ語り部」の現状を探る。

 長崎原爆が投下された11時2分を示したまま、針が止まった「被爆時計」。惨劇の瞬間を想像させる象徴的な資料が10月、長崎原爆資料館の展示から外された。レプリカを制作するためで、来年3月に完成するまで写真を展示している。

 爆心地から約800メートルの山王神社に近い民家で原爆がさく裂した瞬間まで時を刻んだ時計は、1949年に市に寄贈された。資料館では常設展示室の入り口に陳列していたが、被爆から75年の歳月で金具などの劣化が進んでいる。

 時計だけではない。学芸員の弦本美菜子さん(31)は「展示中の衣服は照明で変色し、被爆当時の色はすでに失われている」と説明する。黒焦げになった弁当箱、溶けたガラス瓶など被爆資料は劣化が進みやすいという。

 喫緊の課題が収蔵する資料約2万点の保存と活用方法だ。市は「数世紀先まで原爆の悲惨さを伝えるため」(弦本さん)に、まずは被爆時計からレプリカの制作を始めた。費用は313万円。「慰霊目的」として厚生労働省から3分の2の助成を受けた。

 「今年は75年の節目で助成金も多かった。次はどうだろうか…」。市被爆継承課の前田一郎課長はこう懸念する。次にレプリカを制作する計画は未定という。

 資料の整理も進んでいるとは言い難い。常勤の学芸員は弦本さんを含め2人。被爆状況を調べた資料は順次、データをホームページ上で公開することになっているが、2800点にとどまる。

 原爆の惨状を語り継いできた被爆者がいなくなる時代は確実に近づいている。「物言わぬ語り部」としての資料をどう後世に残し、活用していくのか-。

 「資料館の役割は大きくなっていく」。芥川賞作家で2010~19年に資料館館長を務めた青来有一さん(61)はこう話す。一方で、資料保存を被爆地だけで担うのは限界があるとし、「多方面に協力をお願いするしかない。運営には工夫が必要になってくるだろう」と語った。

 (西日本新聞・西田昌矢)

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