江戸時代前に死去、前田利家なぜ「初代藩主」? 識者「通則に反す」

友好紙 夕刊

 「前田利家(1538~99)は江戸幕府に仕えていないのに、なぜ(加賀藩の)初代藩主と言うのか」。北陸中日新聞の双方向報道「Your Scoop~みんなの取材班」に、こんな質問が寄せられた。広辞苑で「藩」は、「江戸時代の大名の領地」などとある。石川県や金沢市では利家を「初代藩主」と表現するケースが散見されるが、利家は江戸時代が始まる1603年の前に亡くなっている。背景を探ると、石川、富山ならではの伝統が見えてきた。

石川、富山の「変わった伝統」

 「利家を加賀藩の初代藩主と呼ぶのは、無理があります」。富山県高岡市の市立博物館副主幹学芸員、仁ケ竹(にがたけ)亮介さん(近世史)は、そう言い切る。「『藩』とは徳川家に忠誠を尽くす地方政権という意味で、江戸中期ごろから儒学者が使い始めた言葉。最期まで豊臣家に仕えた利家は、その意味でも藩主や藩祖とは呼べない」

 仁ケ竹さんは10年ほど前に高岡市から観光パンフレットの表記で助言を求められ、利家を「藩主」ではなく「加賀前田家初代当主」、子の利長を「2代当主」と呼ぶよう提案した。市内の高岡城跡や利長公墓所の案内板も近年、こうした表現に変わってきている。

 石川県教育委員会の金沢城調査研究所の大西泰正研究員(織豊期政治史)も、昨年刊行した「前田利家・利長」(平凡社)で「加賀藩研究の世界では、利家を『藩祖』として初代藩主に数え、利長を『2代藩主』と呼ぶのが一般的だが、明らかに日本史の通則に反している」と指摘した。ただ、大西さんは取材に「本に書いたのはあくまで個人的な見解。藩主の数え方にはさまざまな考えがあり、県や研究所の公式見解ではありません」と話した。

 実際、金沢市内を歩くと、利家を「初代藩主」「藩祖」とする案内板を数多く見掛ける。仁ケ竹さんは「利家は1581年に信長から能登国を拝領し、後の加賀藩となる領地を初めて支配した。これらを理由に明治時代以降、加賀藩の流れをくむ歴史家の間で利家を『藩祖』と呼ぶようになり、次第に『初代藩主』の表現も増えていった」と説明する。

 江戸時代以前の大名で「初代藩主」「藩祖」の表現が定着している人物は、全国を見回しても少ない。仁ケ竹さんは「利家を初代藩主や藩祖と呼ぶのは歴史学的には無理があるが、明治からの歴史があることを考えると、石川、富山の変わった伝統とも言える」と話した。

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