博多ロック編<190>疾走したデビュー戦

九大祭で演奏する「サンハウス」 拡大

九大祭で演奏する「サンハウス」

 「コンサートに出てみないか」
 
 福岡市・西中洲のナイトレストラン「ピコ」。従業員の北島匡は「サンハウス」のボーカル、柴山俊之を誘った。柴山の記憶は北島と違う。

 「私が『出してください』と言った」

 どちらにしろ、互いの気持ちが一致していたのはいうまでもない。

 北島は「サンハウス」が演奏していた中洲のダンスホールに客として出入りしていた。一方、柴山も客としてロックを流していた「ピコ」に時折、顔を出していた。

 福岡で初めての本格的なコンサートは1972年5月3日、福岡市・南薬院の九電記念体育館で開かれた「夢でよかった いいじゃないか-フォーク・ロックコンサート」だ。北島はこのコンサートの実行委員長だった。

 画家の新開一愛がデザインしたチケットには高田渡、泉谷しげる、頭脳警察など出演者の名前が列記されている。その最後には「他地元有名芸能人」とある。「サンハウス」の名前がない。

 チケットの販売段階では「地元有名芸能人」はまだ、決まっていなかった。出演者の中に初めて「サンハウス」が記されるのはコンサート直前に配布されたフライヤー(ちらし)だった。

 ダンスホールのハコバンドからコンサートバンドへ。「サンハウス」は71年、九州大学の大学祭の中の「ロックフェスティバル」に飛び入り参加をしている。最初は見物に行った。ドラムの浦田賢一がその場で主催者に掛け合った。ギターの鮎川誠は言う。

 「急いで『ヤングキラー』(ダンスホール)に楽器を取りに帰り、夜中の1時ごろ出演した」

 これは臨時出演で、東京組を迎え撃つ形のデビュー戦は「夢でよかった-」のコンサートだった。

   ×   ×

 九電記念体育館を埋めた7千人。「サンハウス」の持ち時間は30分。継ぎ目のMC(話)は一切なしのブルース曲で疾走、炸裂(さくれつ)した。

 ▽エルモア・ジェイムスの「ザ・サン・イズ・シャイニング」

 ▽ボ・ディドリーの「アイム・ア・マン」

 ▽サニー・ボーイ・ウィリアムスンの「ヘルプ・ミー」

 この3曲にそれぞれアレンジを加えて演奏した。ダンスホールでしか知られていなかった「サンハウス」がベールを脱いだ瞬間だった。

 「たぶん、ロッキン・ブルースを生では見たことがない聴衆に大うけした。俺たちのやりたいライブはこれだ」

 鮎川はこのように手ごたえを感じた。柴山にとって駆け寄って来た米国からの留学生の言葉がなによりの花束だった。

 「あなたたちの演奏が一番、よかった」

 このコンサートは博多ロックの底流であるブルース・ロックの神髄をアピールしただけではない。カバー時代の集大成と同時に、オリジナルの日本語ロックに向かう転換点のステージだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2014/02/03付 西日本新聞夕刊=

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