輪郭はぼやけてきても。思い出すエプロン姿の母

河北新報連載「あの日から」遺児⑤全5回――

 東日本大震災では、多くの子どもたちが大切な親を失った。岩手、宮城、福島の被災3県で遺児・孤児は約1800人に上る。悲しみや絶望の中で生きた10年。それぞれが周囲の支えや親の遺志をよすがに力強く人生を切り開いている。

大槻 綾香さん(24)

 「早かったなあ」。宮城県石巻市北上町出身の大槻綾香さん(24)が、遠くを見るようにつぶやいた。忙しく充実した日々が、そう感じさせるのだろう。

 昨年12月17日、大槻さんは埼玉県春日部市のレストランにいた。白いコックコートと黒いエプロンを身に着け、製菓を担当する。アルバイトだが、製菓衛生師の資格を持つ本格派だ。繁忙期のクリスマスを前に、故郷が東日本大震災の津波に襲われてからの歩みに思いを巡らせた。

心理学を学びながら目指す菓子職人

 お菓子作りが得意だった母京子さんの影響で幼い頃から菓子職人を夢見ていた。パウンドケーキやアップルパイなど一緒に作ったお菓子は数知れない。そんな思い出を残し、母はあの日、43歳で帰らぬ人になった。

 石巻市女高(現桜坂高)を卒業後、奨学金を得る一方、アルバイトで生活費を稼ぎ、仙台市の専門学校で製菓の基礎を習得した。でも本格的に菓子職人になる前に学びたいことがあった。心理学だ。

 志したきっかけは、あしなが育英会が震災後、石巻市で遺児を対象に開いた心のケアの集いだった。当時、北上中3年。冷静に母の死を受け止めたと思っていた。実際は押し込めていた感情があったのかもしれない。会場に通うと心安らぐ自分がいた。

 参加者は小学生が多かった。「つらいのは私一人じゃない」。自然と小さい子の面倒を見るようになり、専門学校時代から遺児を支援するファシリテーターの活動を始めた。同時に、心のメカニズムを知りたいという思いが募った。

 専門学校卒業後、大学の通信教育部に編入。仙台市のパン店で働きながら、心理学の勉強を始めた。かつて自分がしてもらったこと一つ一つの意味が、胸にすとんと落ちた。

 例えば「リフレクション」。子どもが話した内容を繰り返して話すことだ。子どもは聞いてもらっていることに安心し、心を開く。「自分もそうだった」と振り返る。通信教育は、約1年前に生活拠点を埼玉に移した今も続けている。

死ぬこと、生きること「震災後ずっと考えている」

 人見知りだったことも、心理学に興味を持った理由の一つだったが、気付くと治っていた。転機は18歳で経験した大舞台。育英会の事業で米国ブロードウェーに乗り込み、震災で家族を亡くした少女を描いた作品を群読した。

 現地で米国やウガンダの共演者と稽古を重ね、本番では主人公の胸の内を全身で表現できた。その後、ウガンダでも公演。慣れない環境に適応できている自分に、自信がついた。

 今は4月の大学院進学を目指し、準備をしている。専攻したいテーマは死生観。母の死、そして自身の心の軌跡と今後の生き方に向き合うことにもなる。

 「死は怖いけど、いつかは訪れる。それまでにどう生きるかが大事だと、震災後ずっと考えている」

 最近、母の記憶の輪郭が少しぼやけてきた。ただ、時が戻るような瞬間もある。表情を和らげ「赤いチェックのエプロンが母のお気に入りだった」と大槻さん。よく似たエプロンを見掛けると、台所に立つ母の姿が脳裏によみがえる。 

(須藤宣毅)

(河北新報 2021年1月15日)

 

友好紙・河北新報「東日本大震災10年特集」はこちら

関連記事

PR

政治 アクセスランキング

PR