あらゆる業界に理念空虚な「3密おじさん」【中島岳志さん寄稿】

 森喜朗元首相の女性蔑視発言が問題になり、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の辞任に至った。森の発言は、オリンピック憲章に記される「ジェンダー平等」の理念に反すると批判され、国際的な反発を招いた。

 森の「失言」は、今回が初めてではない。首相時代には、いわゆる「神の国発言」が問題視された。なぜ森は「失言」を繰り返すのか?

 プチ鹿島は「『面白おかしくしたい』のは森喜朗会長の方だった? かつての失言で振り返る“3密”でのウケ狙い」(文春オンライン、2月8日)の中で、森を「3密おじさん」と命名する。森は「『実際に会ってみたらいいおっちゃんだった』という人たらしの政治家であり、半径10m以内の人間を取り込む昭和自民党イズム」を体現している。彼は「密集、密接、密閉という濃密な空間でこそ力を発揮する」。

 森の特質は、その場にいる人たちが喜びそうなことを話すことで、親密な空間を作り出すことにある。そして、その密着した人間関係の中で、調整役として本領を発揮する。森は「座持ちの良さで一気に日本のトップまで駆け上がった」政治家であり、「半径10m以内のスペシャリスト」なのである。

 鹿島の人物評は、森という政治家の本質を突いている。そして、戦後日本政治のあり方そのものの批評になっている。

 森には『あなたに教えられ走り続けます』(北国新聞、1999年)や『私の履歴書-森喜朗回顧録』(日本経済新聞出版、2013年)、『遺書-東京五輪への覚悟』(幻冬舎、2017年)といった著作がある。戦後の日本政治を考察する上で、ここに書かれた人事や権力闘争をめぐる政界裏話は、貴重な証言となっている。話も面白い。しかし、すべてが属人的エピソードに終始しており、いかなる理念やヴィジョンをもって政治家を務めてきたのかが皆目わからない。

 森の強みは、理念の空虚さにこそあったと言えるだろう。彼には確固たる思想的信念がないため、状況に応じて柔軟な動きをとることができた。この融通無碍(むげ)なスタンスが、調整役として力を発揮する根拠となった。

 森は、1994年の村山内閣誕生時の自民党幹事長だった。自民党内には右派を中心に、首相指名選挙で社会党委員長に投票することへの抵抗が強かった。中でも森と同じ三塚派の中川昭一は、強く反発した。

 森は著書(『私の履歴書』)で、この時の中川に対する説得のシーンを再現している。森は中川に対して「オレはいままで君に何か頼み事をしたことはあったか」と問い、「いや、何もありません」という返事を得ると、畳みかけるように「君はいままでオレの世話になったことがあったか」と問うた。中川が「はい、いつもお世話になっています。大変感謝しています」と答えると、「それなら、オレの頼みを一回くらい聞いてくれ」と言い「村山さんに投票しろ」と迫った。

 森の面倒見の良さは、政界随一と言われる。その世話役的行為は、重要な場面で「貸し借り」を前提としたトレードオフを相手に迫ることになる。このネットワークの積み重ねが、森の権力の源泉なのである。そして、多くの政治家や財界人、スポーツ関係者は、森の調整力・解決力に依存してきた。

 TBSの情報番組「サンデー・ジャポン」(2月7日)に出演したタレントの鈴木紗理奈は、森の発言の問題を認識しながらも、声を上げにくい状況があると指摘し、「お世話になっているから言えない状況があって、私のいる世界にも、どの世界にも『森さん』はいるんです」と発言した。そして、そのような実力者の積み上げてきた中で活躍の場を与えられた人間は、自分を含めて声をあげることが難しいと語った。

 日本社会では、あらゆる業界の要所に「ミニ森喜朗」が存在している。いま私たちが直面しているのは、この「森喜朗的なもの」を乗り越えることができるか否かである。「森喜朗を許容してきたのは自分だ」という認識を持ち、差別に対して明確にNOを突き付ける姿勢が、一人一人に問われているのだろう。今回の騒動は、組織委員会会長人事を超えた切実な問題を私たちに突き付けている。

(なかじま・たけし=東京工業大教授)

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