博多ロック編<194>黒いレスポールの伝説

黒いレスポールを見る津和野(左)と鮎川=ハニー・ビーで 拡大

黒いレスポールを見る津和野(左)と鮎川=ハニー・ビーで

 福岡市の天神交差点に面した福岡ビルが開業したのは1961年のことだ。その1階に日本楽器(ヤマハ)直営の福岡店がオープンしたのは64年だ。楽器とレコード販売。特に、輸入盤レコードの窓口であり、海外からの新着レコードの争奪戦が毎日のように、繰り広げられた。

 「サンハウス」の柴山俊之はABCのバンド名順に並んだブルース、ロックのレコードを一枚一枚吟味した。気になる1枚があると伸びた爪でコーティングされたビニールをすっと切った。視聴して気に入れば「取り置き」にした。

 鮎川誠も同じだった。「これも取り置きして」。柴山、鮎川の選んだレコードが取り置き棚の多くを占拠していた。

 在庫のないレコードは予約注文をした。上田恭一郎はジャズギターの元祖、チャーリー・クリスチャンの「ソロ・フライト」のフランス盤を注文した。1年後、店のレコード係だった「藤村」からはがきが届く。「入荷見込みなし。予約金1000円を返却する」との通知だった。

 博多駅近くのダンスホール「ハニー・ビー」のギタリストだった津和野勝好もこの店に通った。

 「レコードに魂を奪われた。みんなもそうだった」

 1枚のレコード。盤の溝が擦り切れるまで聴き込んだ。レコードが教科書だった。

 「針を落とすと聴き過ぎて溝がなくなっているからすっと滑ることもよくあった」

 「日楽(にちがく)」と呼んだこの店は博多ロックの後方支援の拠点でもあった。「サンハウス」はこの店内でもライブをしている。

  ×   ×

 津和野が買ったのはレコードだけではない。ギターだ。津和野はキース・リチャーズ、ジェフ・ベックなどが使っていた米国・ギブソン社の「レスポール」が欲しかった。この店で注文した。当時の金で約35万円。

 津和野が注文した「レスポール」は1969年製のマホガニー色。しかし、その茶系の色の「レスポール」はすでにギブソン本社にもなく、半年後に届いたのは「黒いレスポール」だった。2年間の分割払い。

 「返済するためにどんな演奏の仕事でもやった。どうにか返しました」

 あるとき、津和野は金が必要になった。イベント会社「夢本舗」の北島匡にこのギターをいわば「質草」にして「10万円を借りた」と言う。

 北島の手元に置かれた「レスポール」を借りたのが鮎川だった。鮎川は津和野のこのギターを「ハニー・ビー」で見ていた。

 鮎川は「サンハウス」のライブのときにこの「レスポール」で演奏した。鮎川は「シーナ&ロケッツ」で再出発するときに、津和野に「譲ってくれ」と頼む。津和野は決断した。

 「マコっちゃんならいい」

 博多の「黒いレスポールの伝説」である。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/03/03付 西日本新聞夕刊=

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