【こんにちは!あかちゃん 第15部】震災3年「変化」を追う<2>母子手帳電子化の動き

「いーはとーぶ」を活用する小笠原敏浩さん。産科施設と行政の担当者が母子の状態で気になる点などを報告しあい、継続した支援ができる 拡大

「いーはとーぶ」を活用する小笠原敏浩さん。産科施設と行政の担当者が母子の状態で気になる点などを報告しあい、継続した支援ができる

 出産予定日も妊婦の体調も、災害は容赦しない。おなかに宿る新しい命をどう守るか-。東日本大震災を機に、周産期医療の現場に変化が表れている。

 「どうして分かったの?」。避難所で生活していた妊婦から驚きの声が上がった。震災直後の岩手県陸前高田市。津波で病院も役所も全壊し、妊婦情報は失われたはずだった。ところが、市はいち早く妊婦の安否や避難状況を把握。保健師による巡回指導を行うことができた。

 可能にしたのが、県の周産期医療情報システム「いーはとーぶ」。インターネットを利用して健診記録や産後の精神状態などの情報を医療機関と行政で共有し、妊婦を見守る仕組みだ。2009年から運用が始まり、県内の全39分娩(ぶんべん)施設と25の市町村(76%)が加入する。

 陸前高田市の場合、盛岡市にあったコンピューターに全ての妊婦情報が残っていた。システムの立ち上げから携わる県立大船渡病院副院長の小笠原敏浩さん(53)は「思わぬ形で災害に強いと実証された」と話す。九州大学病院の総合周産期母子医療センターで講師を務める福嶋恒太郎さん(47)も「離島やへき地の多い九州でも参考にしたい仕組みだ」と評価する。

 「いーはとーぶ」導入の背景には全国的な産科医不足があった。岩手県も例外ではなく、当初は確実で効率のいい母体搬送を目指し、医療機関の情報共有からスタート。その後、行政と連携してうつや虐待を防ごうと産後支援にも生かしていた。

 一方で震災を経験し、課題も見つかった。被災地では母子健康手帳を失った妊婦も少なくなかった。手帳には妊娠経過のほか、産後の成育状態や予防接種の有無も記録されている。「いーはとーぶ」の情報で再発行はできたものの、予防接種などの記録は含まれていなかった。

 小笠原さんが被災地域の保健師や看護師に調査したところ、53%が「震災時に母子手帳が役に立った」と回答。小笠原さんは「円滑な支援には母子手帳の完全な電子化が必要」と提言する。この岩手の例を参考に、日本産婦人科医会は今年1月、電子母子手帳の全国への普及を目的とした委員会を設立。導入の動きは全国へ広がりつつある。

 ただ、産科医不足という課題が震災後、さらに深刻化した地域もある。福島県ではお産に携わる常勤医が、震災前の10年4月で102人だったのが、今年1月で87人まで減少。県産婦人科医会副会長で、福島市で産婦人科医院を営む本田任さん(64)は「もともと慢性的に不足していたところに、原発事故が追い打ちをかけた」と指摘する。

 反対に事故後に減った妊婦数は徐々に回復し、里帰り出産の件数も事故前の水準まで回復している。そこで医会は日本産科婦人科学会に要請し、昨年5月から県内4病院で応援医師の派遣を受け入れることにした。

 「それでもかなり厳しい状況だった」と振り返るのは、昨年8月に白河市の総合病院に派遣された九州大学病院の矢幡秀昭さん(44)。「通常8~9人の診療体制のところ、常勤医4人。2週間で呼び出しもなく休めたのは1日でした」

 本田さんの医院でも震災前より出産数が増えて負担が大きくなったため、5月から分娩数を制限する予定だ。本田さんは「今は産む場所がない状況にこそないが、今後は分からない。応援でつなぎながら次の世代を育てるしかない」と話す。

 学会の医師派遣は継続予定だが、同じく応援に出向いた九州大学病院の奥川馨さん(41)は「産科医の不足、地域偏在は全国的な課題。各地で産科医が増えないことには応援派遣も維持できなくなる」と危機感を募らせている。

=2014/03/12付 西日本新聞朝刊=

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