【こんにちは!あかちゃん 第15部】震災3年「変化」を追う<3>産後ケアの必要性痛感

実家にいるような雰囲気の中で母子が過ごせる「おひさま」 拡大

実家にいるような雰囲気の中で母子が過ごせる「おひさま」

 災害避難所では高齢者や障害者の手当が優先されがち。産後間もない母親や赤ちゃんまで手が回らないかもしれない。

 こたつの横には生まれてまだ2週間ほどの赤ちゃん。おなかが張って不機嫌そう。「ガスがたまったかな。どおれ」。助産師が手のひらでへその辺りをさする。おむつからパフッと小さな音が漏れた。母親は「魔法の手だ」と目を丸くした‐。

 福島県猪苗代町の民家を改装した「おひさま」。出産直後の母子が心身を休める宿泊型施設だ。50~70代の助産師が交代で泊まり込み、実家のような雰囲気の中、子育てのこつを伝授する。開設は2011年7月。東日本大震災がきっかけだった。

 施設管理者の二瓶律子さん(71)=猪苗代町=は今も、地震直後の避難所が忘れられない。「お尻を洗えず真っ赤。おにぎりにお茶をかけて離乳食代わりにしていました」。病院に余裕がなく産後すぐ避難所へ戻された母親もいた。実家も被災して頼れない、仮設住宅で夜泣きをするわが子の口をふさいでしまいたい…。悲鳴を上げる親たちの受け皿になればと、県助産師会が民間の助成を取り付けて設けたのが「おひさま」だった。

 最初の利用者は、東京電力福島第1原発が立地する双葉町から転々と避難していた松枝明美さん(42)。震災5カ月後の11年8月に出産した。町職員の夫(42)は仕事で手いっぱいだったこともあり、病院から移って約3週間過ごした。「放射線量の低い地域で、相談相手もいて安心できました」と振り返る。

 原発事故への不安は今も影を落とす。看護師の三浦順子さん(35)=南相馬市=はあの日、原発から3キロ圏内の病院で患者を避難させていた時に爆発音が響き、噴煙が立ち上るのを目にした。昨年春に妊娠。産むまでの間、何度も超音波検査をしたが、先月12日に出産して腕に抱くまでは安心できなかった。

 夫(39)も両親も帰還困難区域のある南相馬市で避難生活を送っている。出産を機に原発から離れた会津若松市にアパートを借りたものの、夫は新たな職に就いたばかりで週末しか来られない。初めての子育てを1人で担う三浦さんは「おひさま」を利用することにした。

 訪問ケアや電話相談にも取り組む「おひさま」は、今や親たちの駆け込み寺として地域に頼られる存在になっていた。三浦さんも「日常会話のようにちょっとしたことも聞けるのがいいですね」と笑顔を見せる。

 こうした施設は「産後ケアセンター」と呼ばれ、国も設置を推進。核家族化や晩婚に伴う祖父母の高齢化で産後の手助けのない親を支援する狙いがある。

 だが、厚生労働省の12年度調査によると、宿泊型産後ケアセンターのある自治体は、回答した786自治体のうち、わずか16市町村(2%)。九州でも、鹿児島市などごく一部でしか実施されていないのが実情だ。

 24時間体制の維持には経費が掛かり、利用者負担も小さくない。「おひさま」の場合、震災後の危機感が後押しする形で開設され、昨年からは県が補助金を出して支えてきた。それでも運営は厳しい。本来なら1日数万円の利用料が必要なところを「子育ての基盤をじっくり築いてもらおう」(二瓶さん)と1日3千円(最大14日間)に抑えてきた。しかし、4月以降の県の補助は未定。助成金集めに奔走する日々だという。

 国は14年度予算案に、約40市町村でのモデル事業費を盛り込んだ。福島県助産師会会長の石田登喜子さん(63)は「近年急増する児童虐待も育児不安が深く関わっている。産後ケアは災害の有無にかかわらず全国で必要です」と力を込める。


=2014/03/13付 西日本新聞朝刊=

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