【こんにちは!あかちゃん 第15部】震災3年「変化」を追う<4>保育現場に教訓生かす

今月4日にあった潤野保育園の地震訓練。園児たちはハンカチなどで口をふさいで園庭に避難した 拡大

今月4日にあった潤野保育園の地震訓練。園児たちはハンカチなどで口をふさいで園庭に避難した

 子どもの命を預かる保育所。親元を離れて過ごす日中の安全をどう守るか。保育現場での模索が続く。

 「奇跡」‐。そう語られるようになった保育所がある。

 宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)保育所。津波で800人近くが犠牲になった地区にありながら、一人の犠牲者も出さなかったからだ。

 海抜0メートル、港まで260メートル。近くには高台やビルもない。職員たちは地震直後、津波の情報が届く前に園児54人を5台の車に分乗させ、2キロ先の小学校に直行した。津波が保育所に到達したのは約30分後だった。

 それでも当時の所長、佐竹悦子さん(62)は「決して奇跡ではないのです」と振り返る。実は、震災前に避難マニュアルを検証し「徒歩で子ども連れでは津波から逃れられない」と車の活用を決めていた。幹線道路の渋滞も見越して農道を使ったルートを設定し、訓練を繰り返していたのだった。

 一方、震災当日に約150人を保育中だった仙台市の福室希望園では、レクリエーションで使うかまどやまきで暖を取り、3日分の食料の備蓄も役に立った。「電気やガスが止まっても給食が出せたので保護者にも喜ばれました」と園長の高野幸子さん(70)。震災後は備蓄を増やし、電話が通じにくかった経験から保護者への連絡手段として一斉メールを導入した。

 こうした被災地の教訓は、九州の現場でも生かされている。

 「屋根より高い波が来るかもしれません。高い所に逃げましょう」。保育士の言葉に、顔をこわばらせる園児もいた。九州電力川内原発から5キロほどにある鹿児島県薩摩川内市の水引保育園。昨年10月の避難訓練は、津波を想定したものだった。

 以前から地震に対する訓練には取り組んでいた。津波への備えは、東日本大震災で危機感を募らせた保護者から要望が相次いだからでもあった。2児を通わせる母親(32)は「職場をすぐに出られるか分からない。保育所に頼るしかない」と話す。

 高台までは歩いて20分ほど。園児は約70人で、職員は1日平均15人前後が出勤している。訓練では、歩けない子におんぶひもや大型の乳母車を使い、想定の時間内に避難することができたものの、園長の湯田健二さん(62)は「3年たって職員の緊張感が薄らいだ面もある。気を引き締めたい」と力を込める。

 太陽光発電、雨水タンク…。福岡県飯塚市の潤野保育園は、災害に備えのある園舎に建て替えた。園長の木村幸道さん(36)は「いざというときに保育所で過ごせれば、大勢の人がいる避難所より子どもが安心できるはず」と語る。木村さんは震災後、避難所でストレスを抱える子どもの様子をテレビで見て胸を痛めていたという。

 そうした心のケアの課題は、3年たった今も残る。厚生労働省研究班の調査によると、被災地の幼児の中にはうつなど深刻な心の問題を抱えている子がいることが分かった。宮城県保育協議会副会長も務める高野さんは「復興半ばの地域は親も余裕がなく、保育士が寄り添おうにも数が足りない」と指摘する。

 ただ、待機児童解消が急がれる中、保育士不足は被災地に限らない全国的な課題でもある。

 潤野保育園は震災後、住民を行事に招いたり、消防団と一緒に訓練をしたりして顔見知りになる機会をより大事にするようになったという。「保育所は、大人より子どもの数が多い“災害弱者”。住民の協力があれば心強い」と木村さん。保育所や幼稚園、学校だけでなく「子どもは地域で守る」という姿勢をあらためて確認しておきたい。


=2014/03/14付 西日本新聞朝刊=

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