【こんにちは!あかちゃん 第15部】震災3年「変化」を追う<5>親として不安と備えと

自宅から公民館までの道を歩く緒方悦子さん親子 拡大

自宅から公民館までの道を歩く緒方悦子さん親子

 多くの人が命や家族を見つめ直した東日本大震災。西日本新聞は、震災以降1年間に生まれた子どもの保護者を対象に「この3年間で子育て意識がどう変化したか」を問うアンケートを実施した。回答から浮かび上がった「変化」を2回に分けて紹介する(文中の地名は全て福岡県内)。

 アンケートには福岡県を中心に男女650人が回答した。このうち約7割の454人が「意識が変化した」と答え、「変化しない」は179人、無回答や「どちらとも言えない」は17人だった。変化のあるなしに関わらず、ほとんどの人が挙げたキーワードは「不安」。再び大災害が起きたとき、わが子を守れるか悩む姿がうかがえた。

 「守りたくても守れない現実があると思うと、大切な命を抱えることに不安を感じた」(北九州市・35歳)、「こんな時代に産んでごめんね」(宗像市・36歳)というやりきれない思いを訴える声があった。

 不安から一歩踏み出し「子どもが名前や住所、電話番号を言えるようにする」(八女市・34歳)、「災害時の集合場所を決めた」(那珂川町・41歳)、「再利用できそうな衣類や哺乳瓶などを被災地に送れるよう保管している」(北九州市・42歳)など新たな災害に備え始めた人もいた。

 福岡市の緒方悦子さん(36)は「起こってしまったこと(震災)への協力姿勢と、これから起こりうることへの危機感」が芽生えたと書き込んだ。

 震災直後、津波にのまれる夢を何度も見た。子どもとつないだ手が引きはがされて…。「同じ思いをしたお母さんがいっぱいいたと思うと、ただ恐ろしかった」。自分にできることを模索し、紙おむつが不足していると聞いて、長女(当時1歳)と生まれたばかりの長男を半年間、布おむつで育てた。

 あれから3年。長女は地震や津波の怖さが分かってきたようだ。テレビ映像を見ると走って逃げる。「隠したら何も伝わらないから、チャンネルは変えません」。「死」についても「たくさんの人がお空に行っちゃったんだよ」と説明している。

 近所の散歩も防災教育の機会と捉え、避難経路をたどりながら塀をたたいて「地震で壊れそうだね」と会話する。きょうだいで助け合えるよう、日常の片付けなども一緒にさせている。

 アンケートで目立ったのが、原発事故に対する今も変わらない懸念だった。

 事故現場が九州から離れているため「実感がなく不安はなかった」(北九州市・34歳)という人もいたが、古賀市の37歳は風評かもしれないと思いつつも「子どもの食べ物は九州産を選ぶようになった」。「気にしていたら何も食べられない。どうしたらいいか…」(直方市・32歳)など、3年たった今も戸惑いが見られた。

 国は事故当時「ただちに健康に影響ない」と繰り返した。それでも「何十年先にどんな影響があるか分からない」(糸島市・43歳)と不信感は強い。事故処理についても「国はコントロールできておらず、以前にも増して不安」(北九州市・36歳)と疑問の声が多かった。

 さらなる経済成長を目指す政府は、2月にまとめたエネルギー基本計画案で、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた。糸島市の39歳は「大事故が起きたのに原発がなくならないことに怒りを感じる」。一方、筑紫野市の34歳は「とても複雑」という。「震災は忘れたくないけれど、原発に頼って生活してきた。便利さの代償として反対はしない。人間は身勝手」


=2014/03/20付 西日本新聞朝刊=

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