博多ロック編<200>同じ教室の二人

「キース」時代の笠原(右端)と柴山(右から2人目)=KBCテレビで 拡大

「キース」時代の笠原(右端)と柴山(右から2人目)=KBCテレビで

 今回は少し前にもどる話だ。
 
 福岡市の那珂川に架かる春吉橋を天神方から渡ってすぐに、スナック「呑喜訪亭(どんきほうて)」がある。マスターの笠原久義(66)が1980年、31歳で開店した。

 「最近、柴山が立ち寄りました。福岡に帰ってくると顔を出します」
 柴山とは「サンハウス」のボーカルだった柴山俊之のことだ。笠原は高校時代、柴山と同じクラスだった。ただ、それほど親しい間柄ではなかった。ある日、柴山が近寄ってきて、笠原に言った。

 「昨日、見たよ。おまえ、かっこよかった。おれも入れてくれ」

 柴山が笠原を見たのは同市内のダンスホール「赤と黒」だった。柴山は客。ステージで演奏していたのが笠原だった。柴山は何度か、店に来ていたが、その時、初めて机を並べる笠原と気づいた。笠原は丸刈り頭を隠すように帽子をかぶっていたのでそれまでわからなかった。学校側にバレないための変装でもあった。

   ×    ×

 笠原は高校生バンド「ジョーカーズ」のメンバーとしてダンスホールで演奏をしていた。楽器演奏だけのバンドでボーカルはいなかった。そこに柴山が加入した。

 笠原、柴山は大学に進学。バンド名を「キース」に変えて福岡だけでなく、長崎県・佐世保、山口県・岩国など進駐軍キャンプにも遠征した。

 笠原は大学を卒業すると実業の道に進み、「キース」は解散した。

 柴山はその後、鮎川誠たちと「サンハウス」を結成する。

 「柴山と鮎川が一緒にバンドを組むことは、なんとなく予感していました」

 博多ロック史のなかで、最初に全国放送のテレビで演奏したのが「キース」だった。若者向けの朝の情報番組「ヤング720」だ。地元のKBCの番組にも出演した。

 笠原にはギターにまつわるエピソードがある。笠原は「キース」の時代、高価だったギター「テレキャスター」を買った。1960年代製だ。後に、柴山が「テレキャスターを欲しがっている知人がいる」と言うので譲った。

 20年前、笠原の店に音楽関係者の客があった。その男が言った。

 「譲ってもらったテレキャスターを持っていたが手放してしまった」

 このテレキャスターこそ笠原が柴山に譲ったものだった。

 ギターの持ち主は変わりバンドも変わる。柴山は笠原と出会うことで「キース」から「サンハウス」の道が開けた。

 笠原は10年前から「キース」というバンドをつくってギターを弾いている。6月1日にはライブハウス「博多メモリーズ」(福岡市・中洲)で演奏する。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/04/21付 西日本新聞夕刊=

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