博多ロック編<202>自主制作盤

EPレコード「地獄へドライブ」 拡大

EPレコード「地獄へドライブ」

 博多のブルース・ロックバンド「サンハウス」の中心活動はいうまでもなく、ライブだ。中心というよりライブがすべてだった。命だった。

 「それ以外、考えたことはなかった」

 柴山俊之は言った。レコーディングの話がでたときも正直、ピンとは来なかった。

 「サンハウス」のレコードデビューは1975年のEPレコード「地獄へドライブ」だ。表題作と「キングスネーク・ブルース」が収録されている。

 レーベルは「Dレコード」。福岡のイベント会社「夢本舗」がこのレコードのために急ぎつくったレーベルである。Dは「夢(ドリーム)」の意味だ。「夢本舗」の北島匡は言う。

 「今思えばインディーズ盤、自主制作盤の走りだった」

 自主制作盤といっても、現在のようなデジタルではなくアナログである。それなりの経費がかかる。

 柴山は言う。

 「東京の赤坂のスタジオで10日ほどかけて録音した」

 当時500円、現在はプレミアがついている。

   ×    ×

 北島がこのレコードを企画したのは「サンハウス」への思いの強さであることはいうまでもない。と同時に中央への対抗心、反発心もあったことは確かだ。

 「博多のレーベルで、博多のミュージシャンのレコードを出して全国発信する。そんな夢もありました」

 北島の若き野心。それは中央資本から離れた音楽独立国への夢ではなかったか。

 1970年代になるとフォーク、ロックなどいわゆるニューミュージックは商業的な音楽ビジネスとして成長する。中央のレコード会社は全国の有力、実力バンドを必死にピックアップした。一本釣りだ。「サンハウス」にも「2、3社からオファーがあった」と柴山は記憶している。

 「でも、おれたちは博多が好きやから離れたくなかった。わがままなことばかり言っていた」

 博多から拠点を移さない-などといった条件でアルバムを制作したのはテイチクである。

 テイチクは演歌系のレコード会社だったが、時代の波に合わせニューミュージック系の「ブラックレーベル」を立ち上げた。その1枚が「サンハウス」のデビューアルバム「有頂天」(1975年)である。北島の仲介だった。タイトルの「有頂天」はテイチク側が決めた。柴山は述懐する。

 「レコードを出して有頂天になっているように思われそうでこのタイトルは嫌だった」

 テイチクから「有頂天」に続き翌年に「仁輪加」、そして1978年に「ドライヴ・サンハウス」をリリースして解散する。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/05/12付 西日本新聞夕刊=

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