博多ロック編<206>若者の街、福岡

「シティ情報ふくおか」の創刊号 拡大

「シティ情報ふくおか」の創刊号

 タウン誌「シティ情報ふくおか」の2代目編集長だった佐々木喜美代は福岡の都市構造の変化について「1976年大転換説」を唱える。

 「この年に福岡、特に天神が集客力のある街に変わった」

 76年、天神にファッションビル「天神コア」がオープン、天神地下街も開業した。

 前年の1975年、福岡市の人口は100万人を突破、山陽新幹線博多駅も開業した。

 こうした都市化の中で76年に創刊されたのが月刊の「シティ情報ふくおか」である。佐々木は言う。

 「『ぴあ』を父に、『ビックリハウス』を母にこの情報誌は生まれました」

 イベント情報誌「ぴあ」の創刊は1972年。サブカルチャー雑誌「ビックリハウス」の創刊は1974年である。「ぴあ」は情報満載、「ビックリハウス」は読者参加、双方向性を基本にした編集だった。情報と読者参加。二つの雑誌の魅力を併せ持つ編集方針が「シティ情報ふくおか」だった。佐々木の編集長就任も読者投票、つまり読者による「総選挙」によるものだった。

 「ぴあ」も「ビックリハウス」も東京発行だったが、その影響を受けてタウン情報誌が地方都市で次々と生まれた。

 情報誌の読者層は若者たちで、サブカルチャー文化、若者文化が1970年代後半には地方でも勢いを持ち始めていた。

   ×   ×

 1975年の国勢調査によれば福岡市の総人口に占める若者(15歳から29歳)の比率は30%近い。2010年の国勢調査での若者率は19・2%で政令都市のなかで一番、若者率が高い。数字は福岡が「若者の街」ということをはっきりと示している。

 こうした若者都市-福岡を土台に月刊「シティ情報ふくおか」は部数を着実に伸ばしていく。創刊号は1部100円。田中清繁の手による表紙のイラストはこの情報誌の顔になる。

 街も動き始めていた。天神だけでなく、親不孝通り(現・親富孝通り)が若者たちの街として活気を見せ始めた。面的な広がりのある都市に福岡は膨らむ。

 1978年、音楽シーンで言えばロック喫茶「ぱわぁはうす」、フォーク喫茶「照和」という拠点が姿を消した。70年代から80年代へ。広がる若者文化を背景に親不孝通りに新しい拠点、ライブハウス「80’sファクトリー」がオープンする。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/06/09付 西日本新聞夕刊=

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