金沢城の出窓「石落とし」、石は落とさなかった 本当の目的は?

 読者から寄せられた情報を掘り下げる北陸中日新聞の「Your Scoop(ユースク)~みんなの取材班」に、金沢城に設けられている「出し(出窓)」に関する疑問が寄せられた。出窓の床は開くようになっており、別名は「石落とし」。石垣を登る敵を迎撃する防御設備だが、金沢市の池田陽一さん(55)は「攻め手は真下の石垣には登らないのでは」。言われてみれば、確かに…。(北陸中日新聞・奥田哲平)

「説明は誤りです」

 「数年来、日本のお城で疑問に思っていたことがあります。敵も場所を知っている『出し』からの石落としに意味はあるのかということです」

 金沢城公園で作業員として働く池田さん。毎日、城郭を眺めるうちに疑問が湧いてきたという。金沢城には菱櫓(ひしやぐら)と五十間(ごじっけん)長屋、橋爪門続櫓の建物に7カ所、国重要文化財(重文)の石川門にも3カ所の出窓が備えられ、床板が幅20~30センチほど開き、真下に石垣が見える構造になっている。

 公式ホームページでは、その役割を「敵が侵入して堀を渡り、石垣に取り付いて来た時に、敵を目がけて石を落としたりする」とする。だが、「説明は誤りです」と、あっさり疑問に答えてくれたのは、日本の城郭研究の第一人者である中井均・滋賀県立大名誉教授だ。

 中井名誉教授によると、名称は石落としだが、用途は鉄砲を斜め下に向けて撃つためだと断言する。「長大な石垣のどこを登ってくるか分からない敵を側面から撃つのが重要。石垣を出っ張らせることは難しいので、塀部分を出窓に出して横に撃てるようにした」

実戦的に「見せる城」

 石落としは戦国・江戸時代の城郭に一般的で、織田信長が築城した安土城以降にしか存在しないという。現存する国宝松本城や姫路城の天守閣、重文の名古屋城隅櫓(すみやぐら)にも備えられ、戦国時代末期に建造された松本城のホームページには、確かに「鉄砲を撃つための石落を11カ所設けています」と書かれている。

 疑問は解けたが、太平の世に建てられた金沢城に、なぜ石落としを造る必要があったのだろうか。現存する石川門は1788(天明8)年に再建され、菱櫓などの建物は1808(文化5)年の火災後に再建されたものを基に、2001年に復元された。

 石川県金沢城調査研究所の冨田和気夫所長は「城郭ならではの建造物は、戦の時に使える構えを持っているのが格式。中世の伝統を引く堀や石垣に囲まれた敷地に住むことが支配者の権威の象徴だった」と解説する。城下から見ると、堅固な造りは特別な存在に映る。戦いへの備えというより、実戦的に「見せる城」へ-。出窓も含めた城郭は、時代とともに、その意味を変えていったのかもしれない。

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