赤いカーペットはGHQ接収の名残 金沢の老舗料亭に残る地下通路

 創業270年の老舗料亭「つば甚」(金沢市寺町)を巡る投稿が、読者の素朴な疑問を掘り下げる「Your Scoop(ユースク)~みんなの取材班」に寄せられた。依頼者の谷内幸代さん(63)とともに地下通路の正体を追うと、第2次大戦後を生き抜いてきた料亭の歴史の一幕が見えてきた。(北陸中日新聞・奥田哲平)

 Q: 金沢市寺町のお料理屋さん「つば甚」で40年くらい前に和服の展示会があり、母と出かけました。和服を見立てた後、地下道を歩くと清川町のセンチュリープラザに出て、食事をしたものでした。地下道は今も残っているのでしょうか。(金沢市の谷内幸代さん)

 つば甚の玄関を上がると、正面に赤いカーペットが敷かれた地下への階段がある。「これより先の入室はご遠慮ください」の立て看板。「現在は倉庫として使っているので、あまりお目にかけたくないのですが…」。依頼を伝えると、若女将(おかみ)の鍔裕加里さん(35)が特別に扉を開けてくれた。

 薄暗い地下通路には調度品などが収められた部屋が並び、奥に続いている。部屋には「楓」などの名札が残る。「連合国軍総司令部(GHQ)の将校が寝泊まりしたと聞いています」

 現在の建物は築100年。GHQが金沢の料亭やホテルなどを接収した際の対象になった。玄関の畳を取り除いてダンスホールになり、階段にカーペットが敷かれたのはその名残。客室は金沢市内の資産家から物々交換で入手したベッドをしつらえたという。

 通路の途中に「WELCOMEセンチュリープラザ」と書かれたアーチ形の看板が現れた。プラザは、つば甚が1972年に開いた総合宴会場。第1次ベビーブーム世代が結婚式を挙げて盛況を博し歌手のディナーショーなども開かれた。

 春秋には呉服店の着物展示会がつば甚で開かれ、谷内さんら招待客が地下通路を通ってプラザ1階の和食料理店で食事した。つば甚は寺町台地の高台にあり、プラザは犀川沿いの低地。地下通路が、渡り廊下となってプラザ側の3階につながれていた。

 当時を知る川村浩司料理長(53)は「内線で連絡をもらい、料理を準備する。お客さまが到着してお料理をすぐ提供できる、好都合な距離だった」と振り返る。プラザでディナーショーを開いた大物歌手がファンから逃れるために地下通路を抜けたり、皇族や政治家が通ったりと「警備面でも便利だった」という面も。

 渡り廊下はプラザが閉店し、建物そのままに「金沢リハビリテーションアカデミー」が開校した2000年に撤去され、役割を終えた。次第に苦戦を強いられた宴会場から、高齢化社会を見据えた専門学校へ。経営多角化を図ったつば甚のしなやかさがうかがえる。

 依頼者の谷内さんにとっては、亡き母との思い出の場所。調査を終え、感慨深そうに話した。「実家は裕福ではなかったが、母がやりくりして結婚前の娘に着物を持たせてくれた。元気だった頃の母の思い出がよみがえって感無量です」

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