博多ロック編<207>「ブルージャグ」の挑戦

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福岡の音楽専門誌「ブルージャグ」の創刊号

 1978年、ロック喫茶「ぱわぁはうす」とフォーク喫茶「照和」が閉店した。福岡の音楽シーンは二大拠点を喪失したが、来たるべく80年代に向けて橋を懸ける者たちの試みは続いた。その一つが79年に福岡市で創刊された音楽専門誌「ブルージャグ」だ。

 初代編集長は「照和」の人気バンド「妙安寺ファミリーバンド」のベーシストだった木下聖雅(60)である。

 「私にとって『照和』はメディアだった。そこに行けばどんなバンドが人気か、どんな曲が受けているかなどがすぐにわかった」

 「照和」の閉店でそのメディアが無くなる。それに代わるメディアはできないものか。木下は当時、在籍していた福岡大学近くのライブハウス「多夢」のマスター、管忠雄と議論、その中から生まれたのが「ブルージャグ」だ。

 タウン情報誌としては「シティ情報ふくおか」があった。この情報誌とは明らかに違った。

 「ジャーナル性を強く打ち出した。『照和』に出演することはミュージシャンにとって一つのステータスだった。これと同じように『ブルージャグ』に載ることがステータスになるような編集方針にしました」

 福岡という地域限定の本格的な音楽専門誌は全国的にも珍しかった。

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 創刊号(200円)は「80年代を目指して街は動きだした」がテーマだ。木下が書いた創刊宣言には多くの地元ミュージシャンが上京したことについて「精神的、文化的に貴重な財産を…東京に譲り渡してきた」と記す。こう総括した上で「若く創造力に富み、未来を開発する能力を持った…人物が福岡にとって貴重な財産だとしたら…絶対に手放していけない」とうたっている。

 隔月刊。木下は仲間の支援を受けながら取材、編集、営業までこなした。この音楽誌を置いてもらうために大小の書店回りもした。印刷がうまくいくように印刷会社にも就職するほどだった。

 さまざまな企画も打ち出した。「ブルージャグ」のレーベルから5枚のアルバムもリリースしている。このうち13号には表紙にロックバンド「モダンドールズ」のソノシート盤が盛り込まれ、丸く切り抜けばそのまま聴くことができる。

 「ブルージャグ」は1986年、29号での終刊まで、80年代の博多ロックの重要メディアだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2014/06/16付 西日本新聞夕刊=

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