【参院選コラム】暴力も言論封殺も、決してあってはならない

 安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。参院選で自民党が大勝したこと以上に、岸田政権の基盤や参院選後の態勢、今後の政策展開に大きな影響を与えるのは必至だ。犯行の詳しい動機や背景の解明が待たれる。このような暴力は断じて許されない。言論の封殺や、様々な論議の萎縮を招くこともあってはならない。

 ▽「陰惨な空気」の蔓延を防ごう

 一瞬の凶行だった。8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄・大和西大寺駅前の路上で、参院選の応援演説を始めた安倍氏に、無職、山上徹也容疑者が背後から近づいて手製の銃を発射。安倍氏はかがむように倒れた。搬送先の病院で懸命の救命治療がなされたが、そのまま帰らぬ人となった。

 岸田文雄首相は8日夜、官邸で記者団に「民主主義の根幹である選挙が行われている中で命を奪った卑劣な蛮行であり、断じて許せない。最も強い言葉で非難する」と言い切った。

 容疑者にどこまで思想的な背景や、組織的なつながりがあったのかは分からない。民主主義に対する挑戦だったのか、言論への暴力を意図していたのかも不明だ。個人的な恨みによる単独犯との見方も出てきた。

 だが結果として、連鎖反応のように、政治や言論への暴力が相次ぎ、陰惨な空気が蔓延することになれば、日本社会と未来が受けるダメージは計り知れない。政治家への暴力は、この30年ほどを振り返っても繰り返し起きている。長崎市長に対する2度の銃撃事件、岐阜県御嵩町長襲撃事件、民主党の石井紘基衆院議員刺殺事件などいくつも上がる。

 暴力の連鎖は戦前の日本で現実に起きた。1921年に原敬首相が、30年に浜口雄幸首相が、32年には5・15事件で犬養毅首相が殺された。これらの前後には、社会不安が深まり、テロが散発した。36年の2・26事件では斎藤実内大臣(元首相)が陸軍青年将校らの暴力に倒れた。その後は、日本全体が巨大な暴力装置となり、言論は封殺され、国会も翼賛体制となり、「1億総玉砕」の破滅的な戦争へと突き進んでいった。

 今回の事件が、同じような惨禍の導火線になるとは考えにくい。だが、どんな些細なことであっても、一人一人が暴力には屈してしまえば、やがて民主主義は力を失う。今、私たちは、その分水嶺にいるとの危機意識を持って、暴力に「NO」を突き付けていくべきだ。

 ▽疑似「二大政党制」の終わり

 安倍氏の死去は岸田政権にどのような影響を与えるだろうか。岸田首相は政権発足以来、麻生太郎自民党副総裁と茂木敏充幹事長との連携を重視し、岸田、麻生、茂木の3派を主流派として政権運営に当たってきた。

 党内最大派閥の安倍派を率いながら、中間派に位置付けられた安倍氏は、経済政策や安全保障政策などで首相に注文を付け、時には首相を揺さぶることも辞さなかった。

 このため、安倍氏が死去したことで、「脱安倍」を図ろうとしていた首相の政権運営は「円滑になる」(政府関係者)と見る向きがあるが、そう考えるのは早計だろう。

 安倍氏は、党内保守派の重鎮であり、党の基盤である「岩盤支持層」に強い影響力を持っていた。その安倍氏がいなくなれば、一体だれが党内の保守派と岩盤支持層をまとめていくのか。保守派と言われる政治家に、安倍氏の後継になり得る実力者は見当たらない。安倍氏という中心軸を失ったことで、自民党の土台が揺らぐ可能性は否定できない。

 政治からさらに緊張感が失われていく事態もありうる。安倍氏は政策面で発信を強め、首相に実現を迫る場面も目立った。裏を返せば、2人の政策面での対立軸ははっきりしており、この政策的な対立がある意味、政治に緊張感を生んでいた側面があったと言える。

 首相が財政再建に軸足を置き、新たな経済政策として、分配を重視する「新しい資本主義」構想を打ち出そうとすれば、安倍氏は数を集めて積極財政の論陣を張った。自身が進めた自由競争重視の「アベノミクス」の堅持も強く訴えた。

 安保政策も同様だ。安倍氏は数値目標まで持ち出して防衛力増強を求め、拡大抑止強化のために、「非核三原則」を超えて米国との「核共有」論を提起した。

 これに対し、首相は「数字ありき」の防衛費増額にブレーキをかけ、核共有については政府としての検討を即座に否定した。

 日本に健全な二大政党が育っていれば、国会を舞台に政党間でこうした政策論争を戦わせたのだろう。だがそうはならず、野党の「多弱」状態は続く見通しだ。

 こうした中で、党内対立の形であっても、政権への「対抗勢力」が存在していたことは、日本の民主主義にとっては、「まだまし」だったと言えるのではないか。

 岸田政権は、「保守」の側から固まりでぶつかられることで、センターから「左寄り」の世論の支持を集め、凧のように止揚する構造を持っていた。だが、安倍氏の死去でこの構造はリセットされ、擬似的な「二大政党」は成り立たなくなった。

 ▽菅・二階氏を非主流派勢力に?

 こうした状況を受け、岸田首相はどうしていくだろうか。10日投開票の参院選は、63議席を獲得した自民党の圧勝で終わった。13議席を得た公明党とともに、非改選を含めて与党で146議席と、過半数(125議席)を大きく超えた。

 関心は内閣改造と党役員人事に移るが、「主流3派体制の継続は大前提」(岸田派幹部)だとして、安倍派をどう処遇するのかが焦点となる。

 政権基盤が揺らがないようにするなら、この機に「安倍派も主流派として取り込む」(同)のは一つの手だ。100人近い大所帯の安倍派の中でも、安倍氏と距離のあった福田康夫元首相に近い勢力は、岸田政権においても「準主流派」と言っていい位置付けだった。

 福田氏の長男で党総務会長の達夫氏や、松野博一官房長官らがそうだ。これに、安倍氏の側近だった萩生田光一経済産業相や、西村康稔前経済財政担当相らも党四役などで処遇すれば「主流4派になる」(同)というわけだ。

 そうなると、非主流派的な立ち位置にいる菅義偉前首相や、二階、森山両派をどう処遇していくか。仮に非主流派のままにとどめ、安倍氏がこれまで担っていた、首相ら主流派への対抗勢力的なポジションに置こうとするなら、首相は相当な人事巧者だと言っていい。

 菅氏や二階俊博元幹事長らが、どこまで安倍氏の代役を演じられるか、という資質・能力の問題はあるだろう。だが、菅氏は曲がりなりにも安倍政権の政策を継承し、保守的な姿勢を貫いた。二階氏の産業界や霞が関への影響力は、安倍氏を凌駕する部分もある。

 さらに、小泉進次郎前環境相や石破茂元防衛相、麻生派所属ながら菅氏に近い河野太郎党広報本部長らが、首相の政権運営や政策展開に対して、時には批判も含め、積極的な発言を繰り返していく環境が作れれば、自民党は活力を失わずに済むだろう。

 ▽物価高対策誤れば痛手に

 とはいえ、岸田首相の前にはさまざまな難題が待ち受ける。喫緊の課題は物価高対策だ。首相の本音は、2%程度のインフレ維持だろう。実質の経済成長率さえ落ち込まなければ、経済規模は拡大できるし、消費税をはじめとして税収増が期待できる。2021年度決算の余剰分と合わせ、財政再建の原資も得られ、首相や麻生氏らが目指す、近い将来の財政均衡も夢物語でなくなる。

 だが、秋以降に本格化が予想されるガソリンや小麦の価格上昇を抑え込めず、庶民の生活を直撃する物価の急騰を許せば、政府・日銀として、大規模金融緩和を修正するかどうかの判断を迫られる。

 この際、引き締めへの転換に十分な「出口戦略」が練られていればいいが、そうでなければ、円急落や金利高騰など、経済に深刻な混乱を招くのは避けられまい。

 ロシアによるウクライナ侵攻を受け、「ロシアとの戦い」は続くが、「民主主義陣営」の結束は保っていけるのか。覇権主義的な行動を強める中国とも対峙していかねばならないが、米国主導の対中包囲網の一翼を担う中で、日本の国益を踏まえた明確な対中戦略を示していけるのか。自民党の岩盤支持層が求める憲法改正への姿勢も問われてくる。「第7波」に入った新型コロナウイルス感染にも無策というわけにはいかない。

 物価高対策を誤れば、失政となって岸田政権を直撃し、政権基盤が大きく揺らぐ展開もあり得る。対中政策も融和に傾けば、保守層の反発を呼ぶのは必至だ。改憲で消極的態度を取っても保守層の失望を招き、政権運営に跳ね返る。

 安倍氏の死去をバネに自民党が結束し、態勢を整えた岸田政権が世論の支持も得ることができれば難局を乗り越え、首相はそれこそ長期政権が視野に入る。

 だが、政治の緊張感喪失と自民党内の活力低下と相まって、政権止揚効果も失った場合、首相が失政をおかせば、政権の足場はあっという間に崩れる。

 「一つ一つの課題が、数十年に1度あるかないかの大きなものだ。戦後最大級の難局にある」。参院選勝利を受け、11日に自民党総裁として記者会見に臨んだ首相は、現状についてこう述べた。元首相死去の今後の政局や自民党内情勢への影響を問われると「偉大な政治リーダーを失ったわけですから、さまざまな影響がないということは言えない」と答えた。一方で「思いを受け継ぎ、拉致問題や憲法改正など、ご自身の手で果たすことができなかった難題に取り組む」と言い切った。

 「遺志を引き継ぐ」との言葉が自民党内にはあふれているが、どこかの段階で実力者らがそれぞれの思惑を秘めて動き出すのは間違いない。政局は新しい局面に入った。岸田首相に本当の正念場が訪れた。(共同通信編集委員兼論説委員=内田恭司)

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