【踏みだすグループホームおるげ 胎児・小児性水俣病患者】<上>念願 「自分の城」持ち変化

 熊本県水俣市の中心部に4月、胎児・小児性水俣病患者が自立して生活できる初のグループホーム「おるげ・のあ」が完成し、男女4人が入居した。念願の1人暮らしに生き生きとする患者たち。だが、開設までの道のりは長く、困難に満ちていた。重い障害を負い、還暦近くの年齢で新たな課題も見えてきた。動きだした「ついのすみか」を報告する。

 「20歳のころから、ずっと1人暮らしがしたかった」。姉家族と同居していた胎児性水俣病患者の加賀田清子さん(58)は「おるげ・のあ」の完成と同時に入居し、40年来の念願だった「自分の城」を持った。

 若いころ、就職や進学で親元を離れる同世代の話を耳にすると、うらやましかった。当時入所していた施設では「単調な毎日で周りが見えず、考えも狭まって正直きつかった」。大人になり、1人暮らしをしたかったが、親も自分も「無理」と思ってきた。水俣病特有の手指の曲がりや歩行困難などがあるからだった。

 「私の家」を意味する方言「おるげ」と、「ノアの箱舟」から名付けられた「おるげ・のあ」は、一つの建物に独立した5部屋が連なる。24時間態勢のヘルパーも常駐する。

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 施設管理者の加藤タケ子さん(63)は、加賀田さんのある変化に驚いた。入居して数日後、これまで1人ではできなかった車いすからベッドへの移動が、できるようになったのだ。

 加賀田さんが「周りに人が居ると、緊張するからできない」と話していたのは本当だった。「朝起きて車いすに座り、トイレに行き、顔を洗って、というのを自分のペースでできる。解放感もある。自分のお城を持ったことによる変化です」。30年以上にわたり胎児性患者たちを支援する加藤さんは、そう確信する。

 入居者の洗濯物の量が想像以上に多いのにも気付いた。「還暦を前にして夜間の排せつのコントロールが難しくなっている。まるで70~80代のよう」と加藤さん。胎児・小児性患者は早くから身体機能の低下が始まり、50歳前後で歩行が難しくなるが、加齢は、そのほかのさまざまな面にも影響を与えることを、新たに認識した。

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 グループホーム構想は、十数年前からあった。1998年、加藤さんが代表理事を務める社会福祉法人が運営する患者交流施設「ほっとはうす」が開設。ただ、利用する患者や親からはすぐに、患者が独立でき、ついのすみかとなるホームの必要性が叫ばれた。

 2004年の年末、加賀田さんの母で認定患者のミネカさんは「清子のためにもホームをつくってください。お金は出しますから」と加藤さんに伝えた翌日、72歳で息を引き取った。

 「水俣病被害に対し、女性は二重三重の苦しみがある。自分が汚染魚を食べて患者になり、さらに胎内の赤ちゃんにまで罹患(りかん)させてしまったと。ミネカさんは五十数年も自分を責め続けていた」

 水俣病研究第一人者の故原田正純医師も生前「胎児性患者には自由と、ケアが必要。グループホームは欠かせない」と早期開設を願っていたという。「おるげ・のあ」は、多くの人の思いが結実した施設だった。

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 【ワードBOX】胎児・小児性水俣病患者

 胎児性は母親が摂取した汚染魚介のメチル水銀が胎盤を通して蓄積、小児性は幼少期に汚染魚介を食べることで発症。いずれも知能や運動に障害をきたすほか、頭痛などの症状もある。ただ、医学的に未解明な部分も多い。国は「症状は進行しない」としているが、中年になって以降に、より歩行が困難となったりするケースも少なくない。介護する保護者の高齢化が進み、日常生活のサポートも大きな課題。熊本県によると、記録が判明する1953年以降に生まれた人で、約70人が認定されている。


=2014/06/25付 西日本新聞夕刊=

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