博多ロック編<209>レコードの図書館

「ジュークレコード」の松本(左)と鮎川(2006年) 拡大

「ジュークレコード」の松本(左)と鮎川(2006年)

 福岡市・須崎のロック喫茶「ぱわぁはうす」を拠点にしたバンド「サンハウス」は1978年に解散した。

 ボーカルの柴山俊之は作詞家として、ギターの鮎川誠は「シーナ&ロケッツ」を結成してそれぞれ上京する。

 「ぱわぁはうす」の店主だった田原裕介はフランス菓子の職人としての道を進む。写真と録音係だった上田恭一郎は昆虫博士として博物館の学芸員へ。

 「サンハウス」のメンバー(5人)ではないが、バンドの活動を支えたシンパを「6番目のサンハウス」という言い方がある。田原、上田のほかに大神洋、松田和夫などがいるが、福岡市・天神の輸入レコード店「ジュークレコード」の松本康もその一人だ。

 松本がこの店を開くのは77年のことだ。学習塾をしていたが、一時期「ぱわぁはうす」でアルバイトをしていたこともあり、音楽への思いは断ち切れなかった。70年代に誕生した博多ロックの現場にいた「6番目のサンハウス」としての使命感も感じていた。

 「ライブハウスをしたかったが…。経済的なことなどもあり、思うようにはならなかった」

 松本が音楽への関与として選択したのはレコード店だった。

    ×   ×

 松本が「サンハウス」から学んだ一つはブルースだ。特に「ぱわぁはうす」内でのレコード講座「ブルースにとりつかれて」は貴重な体験だった。月1回、曲目紹介などの小冊子作りにも毎回、参加した。

 「当時、ヤマハなど福岡のレコード店にはほとんどブルース系のレコードは置いていなかった」

 取次店を通さずに欧米から直輸入することが多かった。リアルタイムでより安くオリジナルレコードを店に並べた。レコードという音源がミュージシャンにとって大きな影響力を持っていた時代だった。

 ロック、ブルース史の必聴盤は売れなくてもそろえた。売れれば補充した。つまり、松本はこの店を「ロックレコードの図書館」にしようとした。

 目利きの品ぞろえと適正な価格。山下達郎など一流ミュージシャンもこの店を訪ねてくるようになる。ただ、松本は店を単にレコードや情報を提供するだけの場とは考えていなかった。

 「どんなムーブメントにも拠点がいる。自分の店がその拠点になればとも思っていました」

 頭の中には「ぱわぁはうす」での体験が下敷きとしてあったにちがいない。店を拠点にして80年代につなぐ松本の闘いが始まった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/06/30付 西日本新聞夕刊=