博多ロック編<210>ロッククラッシュ

「ロッククラッシュ」のポスター(版下)と「BGM」の冊子 拡大

「ロッククラッシュ」のポスター(版下)と「BGM」の冊子

 松本康は1977年、福岡市・天神に輸入レコード店「ジュークレコード」を開店した。翌年の「サンハウス」の解散を受けて「ぽっかりと空いた」福岡の音楽シーンを埋めるために、店を拠点にして二つの運動を展開する。

 一つはレコード講座「ビーティン グルービン ムービン(BGM)」だ。ロック喫茶「ぱわぁはうす」での講座「ブルースにとりつかれて」の継承でもあった。会場としてタイアップしたのは福岡大学近くから天神近くに移転してきた管忠雄(故人)がマスターをしていたライブハウス「多夢」である。

 管は福岡の音楽専門誌「ブルージャグ」の刊行を支えるなど幅広く活動、博多ロックの80年代を語る場合には欠かせない男だ。2010年、管の「1周忌追悼ライブ」があり、山部善次郎などが出演した。松本は管を「アメリカのロックが好きで懐の深い人だった」と言う。

   ×   ×

 もう一つの運動はライブの開催だ。レコード講座が理論編とするならライブは実践編ともいえた。「サンハウス」の解散の後、脱力、失意の中にいた松本は店の従業員から「面白いバンドが『照和』に出ている」と聞いた。

 地下1階のフォーク喫茶「照和」は78年に第1期黄金時代の幕を下ろしたが、同じビルの4階の「照和」は博多ロックの第2世代になるモッズやロッカーズなどが演奏していた。松本は従業員推薦のこれらのバンドを見に行った。松本は「音楽が違う」と地下の「照和」には興味もなく、それまで足を踏み入れたことはなかった。パンクロックで「サンハウス」とは「スピードが違う」と思ったが、ロックに向きあう志を感じた。

 松本は世代的にはひと回り違う第2世代のライブを企画する。九州大学の六本松教養部にあった学生会館での「ロッククラッシュ」だ。200人程度の会場はここ以外あまりなかった。

 学生会館は70年代には「サンハウス」などもライブをしていて当時は重要な空間、拠点になっていた。松本はここでモッズなどが出演した「ロッククラッシュ」を数回開いた。

 レコード店、レコード講座、ライブ。松本が三つの磁場から夢見たものは博多ロックの共同体「博多ビートユニオン」の結成だった。ロッカーたちの自主組織による自主運営のライブ。この構想はライブハウス「80’sファクトリー」の開店によって「意味が無くなった」という。ただ、数年後、松本の夢の一端は実現することになる。

 =敬称略
 (田代俊一郎)


=2014/07/07付 西日本新聞夕刊=

PR

PR

注目のテーマ