インパールの悲劇 克明に 火野葦平の従軍手帳刊行 飢え ダイナマイト口に ハンドル握る白骨

「従軍記が葦平の作品を手に取ってもらうきっかけとなれば」と語る玉井史太郎さん=25日、北九州市若松区
「従軍記が葦平の作品を手に取ってもらうきっかけとなれば」と語る玉井史太郎さん=25日、北九州市若松区
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 太平洋戦争時、陸軍報道班員としてインド・インパールの攻略作戦などに従軍した北九州市若松区出身の芥川賞作家、火野葦平(1906~60)が、約4カ月に及ぶ前線の様子を記録した手帳6冊を原文のまま活字化した「インパール作戦従軍記」(集英社)が刊行された。大勢の戦死傷者や餓死者を出した作戦の実像を伝えている。

 インパール作戦は、英軍が拠点としたインパールを目指し44年3月に開始。補給を軽視した作戦は悲惨を極めた。戦況は悪化し、撤退命令が出た7月以降も飢えと病気で倒れる兵士が続出。戦死者は3万人以上とされている。

 志願して4月に戦地に赴いた葦平は「空中輸送はまづ困難、兵力も充分でなく、機械化部隊も道がないため、思ふやうに活躍できない」と劣勢を知った。前線に近づくと「点々と焼けた車があり、中に白骨が靴をはいてハンドルをにぎつてゐる」のが見えたとつづる。飢餓に苦しみ「甘みがある」とダイナマイトまで口にした兵士の窮状、師団長を更迭するなどした軍司令部のやり方に不満を漏らす兵士の言葉も記録した。

 戦場の様子を書き留めた手帳は約20冊。うち6冊がインパール作戦に関するもので、葦平はこれを基に48年、泥沼化した戦争末期の前線を題材にした小説「青春と泥濘(でいねい)」を発表した。手帳は葦平が亡くなるまで自宅に保管され、現在は北九州市立文学館(同市小倉北区)に寄託されている。

 監修した関西大の増田周子教授(日本近現代文学)は「手帳からは死を覚悟して戦争を記録する葦平の使命感が伝わる。貴重な資料だ」と評価。葦平の三男玉井史太郎さん(80)=同市若松区=は「『戦争作家』と呼ばれても、軍部に協力する器用さはなかった。本が葦平の本質を知るきっかけになれば」と期待する。

 従軍記は昨年末に刊行。四六判、592ページ。5184円。


=2018/01/30付 西日本新聞朝刊=

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