「筑後川」公演 20年の歩み 團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会 中野代表の遺作出版

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「筑後川よ永遠なれ」を手にする中野好子さん
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 ●作曲時のエピソードなど病床で執筆

 「團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会」代表で、4月4日に亡くなった中野政則さん(享年77)=久留米市山本町=の遺作「筑後川よ永遠なれ 團伊玖磨記念『筑後川』流域コンサート、二十年の軌跡」が4月末、東京の出版社「出窓社」から刊行された。團さん作曲、丸山豊さん作詞の混声合唱組曲「筑後川」などを歌う公演の全容を網羅した著作だ。「『筑後川』誕生50周年の今年、出すと決めていた本。命あるうちにと思っていたけど…」。妻好子さん(75)は、夫が触れられなかった表紙に手をやる。

 死去時にも明かさなかった病名は、本の後書きにある。急性白血病だった。「歌は心で歌うものだから、病気と知ったら気持ちがなえる。誰にも言うな」。2016年秋に診断されたとき、政則さんは好子さんに厳命した。長崎県佐世保市での「筑後川」公演直前のことだった。

 團さんが亡くなった翌年の02年、筑後川源流の熊本県小国町で始まったコンサートは毎回、全国各地から合唱愛好者らが集い「筑後川」をはじめ、その地にちなんだ團さんの楽曲を歌う。事務局を担う「楽しむ会」は実質、中野さん夫婦2人。プログラムを組み、人をつなぐ政則さんと、メールなど事務作業を引き受ける好子さんは両輪だった。「ここまでやったからいいじゃないと言っても、人には任せきらんのね」。入退院を繰り返しながら走り続けた。

 病床で書き上げた「筑後川よ-」は、小国から昨年の太宰府市まで全公演の詳報と、團さんや参加者の思いをまとめた。作曲時から携わる政則さんしか知り得ないエピソードも。「筑後川」終章について、丸山さんは「河口夕映」と題していたが、團さんが筆を入れ「河口」と改めたこと-。團さんが流域コンサートの構想を語った際の言葉「夕陽(ゆうひ)を背にして筑後川を歌おう」を、政則さんは著書で〈丸山さんへの配慮と受け止めた〉と明かしている。

 本の校正を終え、表紙案も受け取った直後。春休みで東京から駆け付けた孫たちにも囲まれ、政則さんは逝った。法名は「釋(しゃく)楽音」。〈お会いした方々ありがとう。(略)病には勝てない。團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会のプロデュースは終わる〉。後書きには感謝の言葉が並ぶ。「85歳まで生きて、やりたいことがいっぱいあったみたい」。残された膨大な資料に、好子さんはまだ手を付けられないでいる。

=2018/05/25付 西日本新聞朝刊=

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