「この子に会うため私は生まれた」 「はなちゃんのみそ汁」上映会 亡き妻の心情原作者が語る

上映後、妻と娘との暮らしについて語る安武信吾編集委員
上映後、妻と娘との暮らしについて語る安武信吾編集委員
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 がんのため33歳で亡くなった妻と娘、夫の暮らしをつづったエッセーを映画化した「はなちゃんのみそ汁」の上映会が20日、唐津市二タ子の高齢者ふれあい会館であった。原作者で西日本新聞社の安武信吾編集委員(54)が舞台あいさつし、再発の可能性がありながら娘を産んだ妻について「この世に生を受けたことを肯定できる大人になってほしいと、娘に願っていた」と語った。

 住民団体「唐津市男女共同参画ネットワーク“レゾナ”」(深川ひろみ会長)が家族の絆を通して、生き方を見つめ直してもらおうと企画した。

 安武編集委員の妻、千恵さんは25歳で乳がんを発症。はなさんを出産後、がんは肺に転移し、はなさんが5歳のときに亡くなった。妊娠、出産は命懸けだった。抗がん剤治療を終えていたが、妊娠によって女性ホルモンが活発に出始めることで再発する恐れがあったからだ。

 「死ぬ気で産め」。実父の一言で千恵さんは産む決断をしたという。安武編集委員は「義父は『過去を悔やむな、未来を恐れるな』と災難にあらがわず自然体で向き合う人だった。娘の千恵も、産む決断をしてからは悔やむことはなかった」。

 「もし、ママが私を産まなかったら、今も生きていたかもしれないよね」。はなさんは中学1年のとき、こう問いかけてきたという。安武編集委員は「千恵は娘に助けられ、寿命を延ばしてもらっていた。生まれてきた意味は、娘と会うためだったと思っていた」と振り返った。

 義父の「死ぬ気で産め」という言葉には「妻と娘の二つの命を救おうとの思いが込められていた」と、妻が父親に感謝していたことにも触れた。

=2018/01/25付 西日本新聞朝刊=

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