夢持てた時代と共にあった オメガトライブ率いて全国ツアー 杉山 清貴さん

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 昭和の終わり、おしゃれな若者の恋を歌って一世を風靡(ふうび)した杉山清貴&オメガトライブが今年2月から4月にかけて全国ツアーを行います。1985年末の突然の解散後、2度ライブで再結成されましたが、全国を巡るのは初。平成最後の年、杉山さんにその思いを聞きました。

 -オメガトライブ復活はデビュー35周年を記念してのこととか。

 ★杉山 毎年東京の日比谷野音でライブをさせてもらっているんですけど、夏だと暑いしゲリラ豪雨とかもある。ところが2018年はちょうど5月5日が取れたんです。それだったらなんかやろうよ、ということで「せっかくだからオメガトライブも面白いんじゃないかな」というノリで決まりました。30周年の時も日比谷野音でやったんですが、その時はフルメンバーはそろいませんでした。フルメンバーがそろうのは20周年の時に東京、名古屋、大阪を回った時以来です。

 -なぜ今回は全国ツアーを?

 ★杉山 日比谷の野音がとても楽しかったんですよ。これでツアーをやったらお客さん喜ぶだろうな、というのがあって。本当は18年で終わるつもりだったんですが、スケジュールが合わなくて。ほとんどが普通の自営業をやっているんですが、ドラムの広石君はクレイジーケンバンドで活動していて、とにかく忙しい。年内は無理だ、ということで年明けでスケジュールを組んだら、36周年に入るぎりぎりのところまでできたんです。

 -オメガトライブというと昭和の最後にものすごく印象的な音づくりをした。それが平成の最後に復活というのは運命的です。

 ★杉山 そう言われてみるとそうですね。実際にオメガトライブを体験した世代って、すごく少ないんです。83年にデビューして85年のクリスマスにはもう解散していますから。

 -解散の理由は?

 ★杉山 オメガトライブってプロジェクトチームだったんですよ。自分たちの楽曲でもないし、せいぜい本領を発揮できるのはステージの上だけ。アマチュアの時にやっていた音楽性とは全然違いました。そこは納得してデビューしたんですけど…。ツアー中に飲んでて、「もっとガァーといきたい。俺辞めていいかな」と1人が言い出したんですよ。「まあ、いいよ、ギターは2人いるから」。そしたら「俺も辞めたい」というのが続出して。「だったら、解散でもするか」と。まだ20代半ばですから。大人のいいなりにはなってられない、という反発もあったのでしょう。誰にも相談せずに解散を決めて。大人の説得は毎日のように来ましたけど、全部振り切りました。

 -それにしては日比谷の野音では楽しそうに昔の曲を演奏していましたが。

 ★杉山 ほんとに楽しかったんです。15年前はまだ現役でやっているやつもいてとんがっていたけど、今はとんがりが消えてただ楽しい。それをみんなに伝えたい。ソロになって僕のツアーサポートメンバーが演奏してオメガトライブの曲をライブでたくさんやってきましたが、このメンバーでやると「おお、この音」と。やっぱりオリジナルなんです。

 昭和60年前後って文化も遊びも音楽もまだ伸びしろがありました。20代の僕たちを聴いていたのは10代ですよね。10代の若者が、ああいう世界にあこがれるとか、こういう恋愛をしたい、と夢を持てた時代でした。やっぱり僕らは時代と共にあったバンドだと思います。あの時代を知っている世代は今の殺伐とした世間の中で「ああ、あんな時代もあったよね」という懐かしさもあるんでしょうか。日比谷の野音でやった時もお客さんの表情がとても良かった。

 -福岡のライブは3月31日です。昔は屋台が楽しみだったとか。

 ★杉山 これは伝説です(笑)。ただただ、飲んで食って。屋台大好きでした。あの時代、焼酎なんて文化は広まっていなかったから、福岡に行けばうまい焼酎が飲める。周辺の屋台の「いいちこ」まで飲み干してしまって。もう本当に僕ら有名でした。今度の福岡、大変です(笑)。

 ▼すぎやま・きよたか 1959年7月17日生まれ、神奈川県出身。83年4月に「SUMMER SUSPICION」でデビュー。アマチュア時代のバンドメンバーには作曲家の千住明が在籍していた。85年にバンド解散後、86年5月に「さよならのオーシャン」でソロデュー。「杉山清貴&オメガトライブ」のライブは全国12都市。福岡では3月31日午後5時半、福岡サンパレスで。BEA=092(712)4221。

=2019/01/12付 西日本新聞朝刊=

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