創作意欲がますます湧いてます 自伝を執筆・出版 桂 文枝さん

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 上方落語界の大御所、桂文枝師匠(75)が、自伝「風に戦(そよ)いで」(ヨシモトブックス)を出版しました。「記憶があるうちに」と、戦後の貧困、落語との出合い、先輩との触れ合いなどをつづっています。これまで300本近く演じてきた創作落語への意欲も、ますます高まっているそうです。

 -なぜ自伝を?

 ★文枝 創作落語をずっと書いてきたんで、人任せにするより、今までのことを自分自身で書きたいな、と。書くこと自体は好きですし。でも、落語は直して直して練り上げるけれど、本は一度文章になってしまうとそのままで、ちょっとつらいですが。

 -タイトルが「戦(そよ)いで」と難しいのですが…。

 ★文枝 世間や時代の風に、時にあらがい、時に流されながら、生きてきた。小さい頃は戦争という時代の風に吹かれながら、ですね、当時は苦労を苦労と思わなかったけど、今考えると、父親が戦病死して家庭的に恵まれなかった面はありました。その意味で戦ってきたんじゃないか。まあ「そよいで」には戦う意味はありませんが。

 -お母さんのことを初めて書いたとのことですが。

 ★文枝 母は世間に(文枝の母だと)知られるのをいやがってました。でも母が入院し、今のうちに書いておこうかな、と。母は食事の行儀に厳しく、本当に感謝しています。

 -芸能界での交流では、故横山やすしさんに激励されたエピソードが印象的でした。

 ★文枝 やすしさんは高校の頃からお世話になり、本に書けないこともいっぱいあるけど、やっぱりすごい人だったなあ、と思います。あの人と出会えたことで、頑張る気持ちをいただきました。

 -創作落語をずっと作り続けていますが、そのエネルギーはどこから来るのでしょう。

 ★文枝 287本目の新作を「博多・天神落語まつり」で披露しました。創作は、もっと面白いもんが作れるんちゃうかと、書いても書いても尽きないですね。いろんなことが多少分かってきた年になって、人間が生きていく面白さ、みんなが感じることを落語にできたらと思います。時代を乗り越えていける噺(はなし)を作りたい。流行していることではなく、男女のこととか家族とか年齢とか、皆が経験すること。多少マイナーチェンジはしますが、ずっとやれるネタを作ってきたつもりです。

 -目標は300本?

 ★文枝 大阪市の全24区が舞台の創作落語を作るプロジェクトを始めています。今は5区目で、300本は簡単に超えます。自分の作りたい落語もあり、ここにきて創作意欲が湧いてきたのもありますね。上方落語協会の会長をしていた時は、いろいろ考えたり、人とお会いしたり、さまざまなことに対応していました。卒業して本来の落語に力を入れるようになりました。やってて楽しい。

 -そうなると次の目標は?

 ★文枝 少し違う形で、落語を映画にするとか、作品集を出すとかもやりたい。創作の作り方の本も、僕の考えを述べて後に続く人に参考になれば、と。落語という伝統芸能は「つなぐ」という責任と義務があると思いますね。

 -古典落語も演じています。

 ★文枝 お客さんの反応を見て変える、という意味では古典も創作も一緒なんですね。時代に合うように自分の作品を変えるのと、先輩方のを変えるのと、同じ作業と思います。古典はいつも昔のままではない。歌舞伎も、若い役者が新しいことにチャレンジしてますよね。

 -毎年、嘉穂劇場(福岡県飯塚市)などで公演しています。

 ★文枝 九州の皆さんは熱いですね。熱心に聴いていただき、たくさん知り合いもできました。トイレットペーパーに落語を印刷していただくなど、応援してくださる方がいらっしゃる。ありがたいことです。嘉穂に来たら必ず訪れるのは、柳原白蓮のショップで、あの時代に生きた人に思いをはせています。これから年齢との戦いですが、幸い元気なので、頑張って面白いものを作りますので、今後も九州の方に応援していただければと思っています。

 ▼かつら・ぶんし 1943年7月16日、堺市生まれ。本名は河村静也。生後11カ月で父が戦病死し、母1人子1人で育つ。関西大在学中の66年、桂小文枝(故人、後の五代目桂文枝)に入門し「桂三枝」と命名。テレビ「新婚さんいらっしゃい!」の司会などで全国区の人気に。2003年、上方落語協会会長に就任(18年退任)。12年、六代「桂文枝」を襲名。

=2019/01/19付 西日本新聞朝刊=

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