百済歴史地区(韓国) 日韓交流の歴史を歩く

百済最後の都があった扶余の白馬江を行く遊覧船
百済最後の都があった扶余の白馬江を行く遊覧船
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定林寺址の五層石塔
定林寺址の五層石塔
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武寧王陵を含む7基の古墳が見つかった宋山里古墳群
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武寧王陵から出土した国宝「鎮墓獣」
武寧王陵から出土した国宝「鎮墓獣」
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武寧王の金製冠飾り
武寧王の金製冠飾り
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日本特産のコウヤマキで作られた武寧王と王妃の木棺
日本特産のコウヤマキで作られた武寧王と王妃の木棺
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韓国最古の人工池とされる宮南池
韓国最古の人工池とされる宮南池
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 4~7世紀に朝鮮半島で栄えた百済は、大和王朝と密接な関係を築き、仏教や儒教を伝えたとされる。関連の遺跡群「百済歴史遺跡地区」は2015年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。百済中興の祖、武寧王(ぶねいおう)(ムリョンワン、在位501~523年)は九州生まれとの言い伝えもある。韓国考古学会最大の発見とされる武寧王陵(公州市)などを訪ね、日韓交流の歴史をたどった。

 武寧王は、大和朝廷に儒学者「五経博士」を送ったことで知られ、日本書紀には、佐賀県唐津市の離島、加唐島とみられる島で生まれたとの記述がある。

 韓国中西部の公州市郊外にある武寧王陵に向かった。王陵は1971年、排水工事中に偶然見つかり、盗掘されていない完全な状態で発掘された。王陵近くの国立公州博物館には数々の副葬品が展示されている。

 案内してくれたボランティアの文化解説者、劉栄子さん(62)は「発掘品の中でも最も重要なのは墓誌石です」と話す。墓誌石には被葬者名や埋葬年月が刻まれており、武寧王に関する史実が詳細に分かったことで加唐島生誕説の信ぴょう性が高まったという。

 博物館には、ほかに金製の冠飾り、耳飾りなど、きらびやかな副葬品が並ぶ。動物の石像、鎮墓獣は、日本で見る埴輪(はにわ)のような雰囲気。木棺は日本特産のコウヤマキが使われ、日本との交流がうかがわれるという。保存状態
の良好な展示品からは、当時の洗練された美意識をうかがい知ることができる。

   ■    ■

 百済最後の都があった扶余郡にも足を伸ばした。

 百済の仏教の中心地だったという定林寺址(し)を訪ねた。国宝の五層石塔が、ほぼ完全に原形を保ったまま、そびえ立つ。高さは木造の限界を超えるという8・8メートル。巨大かつ整った構造の石塔を見上げ、当時の信仰心を思
った。

 百済の王が造った韓国最古の人工池という宮南池にも足を延ばした。周囲は遊歩道があり、橋やあずまやが配置されている。福岡市の大濠公園に似ていると感じた。

 扶余近辺を流れる白馬江の下流は663年、百済が完全に滅亡した白村江の戦いの舞台となった。扶余中心部の川沿いの船着き場から、古代船を模した遊覧船に乗った。戦いでは、百済救援に向かった日本軍が唐、新羅の連合軍に敗れた。国を失った百済の人たちは、日本に逃れ、渡来人として定着したとされる。

 往復約20分の船旅で、ゆったりとした川の流れを見ながら、雄大な歴史の一端に触れた気がした。

 ●メモ

 日本から韓国・公州市に向かうには、仁川市の仁川国際空港が便利だ。同空港バス停で高速バスに乗り込めば、公州総合バスターミナルまで約2時間半。高速鉄道KTXの場合なら、同空港駅から公州駅まで約2時間で着く。さらに公州市から扶余郡に行くには、バスで1時間。同バスターミナルから扶余市外バスターミナルまで1日約20本のバスが出ている。扶余には釜山市からKTXとバスを乗り継いで行くこともできる。

 問い合わせは、韓国観光公社福岡支社=092(471)7174。

 ●寄り道=名物は蓮の葉ご飯

 ハスで有名な宮南池がある扶余郡ではハスの葉でご飯を包んで蒸した「蓮(はす)の葉ご飯」=写真=が名物だ。精進料理から郷土の名物に転じたという。「ソルネウム」(松の香り)というレストランで蓮の葉ご飯ランチ(約1400円)をいただいた。

 10センチ四方ほどの大きさにたたまれたハスの葉を広げると、湯気の中から紫色っぽいご飯が出てきた。もち米のご飯の中央にナツメやギンナン、松の実、カボチャの種が盛りつけられている。食べると、ほんのりとお茶のような香りがし、薬膳料理のように感じた。

 付け合わせは、しゃきしゃきとした食感のレンコンの天ぷら、もやしやニラのチヂミ、ポテトサラダなど。いずれも薄味で辛くなく、食べやすかった。


=2017/12/04 西日本新聞=

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