ロシア サンクトペテルブルク(下) 「罪と罰」の舞台を歩く

「罪と罰」で描かれるセンナヤ広場。日中は多くの人々が行き交っていた
「罪と罰」で描かれるセンナヤ広場。日中は多くの人々が行き交っていた
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「N橋」として作中に登場するヴァズネセンスキー橋
「N橋」として作中に登場するヴァズネセンスキー橋
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サンクトペテルブルクの地下鉄。駅は地下深くにある
サンクトペテルブルクの地下鉄。駅は地下深くにある
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地下鉄のエスカレーター。動く速さに驚いた
地下鉄のエスカレーター。動く速さに驚いた
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主人公ラスコーリニコフが暮らしたアパート。彼の部屋は屋根裏だった
主人公ラスコーリニコフが暮らしたアパート。彼の部屋は屋根裏だった
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ラスコーリニコフが暮らしたアパートの1階には、ドストエフスキーの像とプレートが備え付けられていた
ラスコーリニコフが暮らしたアパートの1階には、ドストエフスキーの像とプレートが備え付けられていた
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ドストエフスキーが実際に住んでいたアパート。1階には美容室があった
ドストエフスキーが実際に住んでいたアパート。1階には美容室があった
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 世界遺産に登録された多くの宮殿や聖堂が立ち並ぶロシア北西部の都市、サンクトペテルブルクの魅力は美しい街並みばかりではない。ここはロシアの文化や美術の中心地「芸術の都」。文豪の名作の舞台を訪ねた。

 「白痴(はくち)」「カラマーゾフの兄弟」などで知られる小説家ドストエフスキー(1821~81)はサンクトペテルブルクで工兵学校に入り、その後、作家生活を送った。66年に発表した「罪と罰」は夏のサンクトペテルブルクを舞台にしている。主人公の元大学生ラスコーリニコフは金貸しの老女とその義妹を殺害。罪の意識にさいなまれ苦悩する一方、娼婦ソーニャとの出会いを経て、罪を認め自首を決意する。事件を捜査する予審判事ポルフィーリーとラスコーリニコフとの激しいやりとりは、特に手に汗握る場面だ。

 この小説を初めて手にしたのは学生時代だった。覚えにくい登場人物の名前、難解な表現に苦闘しながら読み進めたのを覚えている。当時は文章を追いかけるのに精いっぱいで、作中の街の風景までは思い描けていなかった。

 「罪と罰」には実在の場所が多く登場する。まずは、ソーニャに諭され、自首を決意したラスコーリニコフがひざまずいて口づけをしたセンナヤ広場へ向かった。地下鉄のターミナル駅に直結した場所だ。ロシアの地下鉄は冷戦期、核戦争のシェルターとしての活用を想定していたとされ、駅はとても地下深くにある。日本とは比べものにならないスピードで動くエスカレーターにも驚かされた。

 広場は飲食店や雑貨店が並び、多くの人々が行き交っていた。5分ほど歩くと、クリーム色の壁の4階建てが見えた。ラスコーリニコフが住んだという設定のアパートだ。1階にはドストエフスキーについて記したプレートが据え付けられていた。

 建物を見上げると、上の階ほど、床と天井の間隔が狭い。理由を聞くと、ガイドのバシーリー・クラーエフさん(56)は「古い建物は階段なので、高い階ほど家賃も安くなるからです」と教えてくれた。眺望と家賃が比例する日本の高層マンションとは対照的。狭かっただろう屋根裏部屋で暮らしたラスコーリニコフは、どんな思いで窓の外の風景を見ていたのだろうか。

 作中、アパート周辺は居酒屋からの悪臭などが漂い、陰惨な光景だと描写されていた。商店やカフェが並ぶ現在は、どちらかというと小ぎれいで閑静なたたずまい。もちろん、悪臭も感じない。150年の時を経て、街の風景も様変わりしたのだろう。

 100メートルほど先には、罪と罰を発表したころドストエフスキーが住んでいたアパートがあり、外壁にプレートが飾られていた。さらに、ソーニャや「金貸しの老女」のアパート、主人公が出頭した警察署として描かれた建物も近い。作者自身が日ごろよく見たであろう風景から名作が紡がれたことが実感できる。

 帰りの機内で、あらためて作品を読み返してみた。街の空気に触れたことで、行間にあった作品の世界観がぐっと身近に感じられた気がした。

=2018/12/19付 西日本新聞夕刊=

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