流浪の洋館、安住の地は 熊本県重文ジェーンズ邸 4度目移築前、地震で倒壊

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熊本地震本震で崩壊した直後のジェーンズ邸=2016年4月16日午前10時すぎ、熊本市中央区水前寺公園
熊本地震本震で崩壊した直後のジェーンズ邸=2016年4月16日午前10時すぎ、熊本市中央区水前寺公園
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倒壊前のジェーンズ邸(熊本市提供)
倒壊前のジェーンズ邸(熊本市提供)
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 「熊本地震で倒壊した貴重な洋館の移築先を、市が唐突に変更した。納得いかん」。熊本市の男性から、そんな声が届いた。洋館とは、1871(明治4)年に建てられた熊本県指定重要文化財の「洋学校教師館ジェーンズ邸」のこと。特命取材班が過去の資料をたどると、明治-昭和期に3度の移築を繰り返した「流浪の歴史」が浮かんだ。

 ジェーンズ邸は木造2階建て。熊本藩が洋学校教師として招いた米国の元陸軍将校リロイ・ランシング・ジェーンズ(1837~1909)のために建てた。県内最古の洋風建築である。

 洋学校が5年で閉校すると、数奇な運命をたどる。建築当初の熊本市中央区の古城町から1894年に南千反畑町に移築され、1932年には水道町に移る。「移築の経緯はよく分からない」と市担当者。戦後になり、一時取り壊す話も浮上したが、市民の要望を受け、70年に現在地の水前寺公園へ移築した。

 この間、熊本城が戦場となった1877年の西南戦争で官軍の本陣となり、日露戦争と第1次世界大戦では捕虜収容所だった。他にも物産館、県立学校の校舎、日本赤十字社の施設などに使用された。重宝されてきたようだが、気の毒なほどの流転ぶりだ。

 男性が残念がるのは、市幹部が2011年の市議会で「創建地の熊本城周辺への移築を調査する」と答弁し、地元住民たちが「観光客が増えて地元が活気づく」と期待していたからだ。そこに、想定外の熊本地震が起きた。

 市は復旧費約5億円の財源として国が67%を負担する災害復旧費補助金に着目。ただ、創建地には県立第一高があるため移築は難しく、隣接する熊本城の敷地も特別史跡のため関係省庁との調整に手間取りそう。そこで市は昨秋、通算5カ所目となる地所として、現在地の南西約300メートルの市立体育館跡地(中央区水前寺公園)を示した。

 市が1月に開いた住民説明会では、創建地の地元住民らから反対意見が相次いだ。市は「創建地が理想だが、現実的には経費や時間の制約が厳しい。建物の価値はどこに移っても変わらない」と説明。住民との意見の溝は埋まっていない。

 流浪の洋館の安住の地はどこになるのか-。被災後に解体された部材は、市の保管庫で復旧の時を静かに待つ。

=2018/02/20付 西日本新聞朝刊=

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