なぜ?かつての「炭都」、進まぬ再開発 住民「このままでは人口減る」

JR飯塚駅前の炭都ビル跡地
JR飯塚駅前の炭都ビル跡地
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昭和30年代のJR飯塚駅周辺の地図(竹下茂木さん提供)
昭和30年代のJR飯塚駅周辺の地図(竹下茂木さん提供)
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 「福岡県飯塚市のJR飯塚駅前など菰田地区の再開発が進んでいません」。そんな情報が特命取材班に寄せられた。炭鉱全盛期は、飯塚の玄関口として栄えた菰田地区の現状と課題を探った。

 飯塚駅の目の前にある約1400平方メートルの空き地。ここには、かつて炭鉱で栄えた時代を象徴する「炭都ビル」があった。ビルは1950年代に建てられた鉄筋コンクリート4階建て。1階は炭都市場商業協同組合が運営する「炭都市場」で、上階はアパートだった。化粧品や果物などを売る店が、多いときには約80店営業し、買い物客でにぎわったという。

 飯塚駅も住友忠隈炭鉱に列車で通う労働者で連日ごった返した。飯塚市の郷土史家、竹下茂木さん(74)が保存する昭和30年代の地図には、駅周辺に飲食店や理髪店、パチンコ店がひしめき、料亭や映画館もあった。現在、駅前で酒と茶を扱う小松商店の小松浩太郎さん(58)は「住民も買い物客も多かった。とにかくにぎやかだった」と振り返る。

 忠隈炭鉱が61年に閉山し、筑豊の他の炭鉱も次々に消えると、街のにぎわいも失われた。店舗数が減った炭都ビルも老朽化が激しく、2013年11月に解体された。市は住民からの要望を受け、14年9月、市土地開発公社が跡地を購入した。

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 飯塚市はもともと、12年度から5カ年計画で実施した「中心市街地活性化基本計画」に菰田地区を盛り込もうとしていた。

 ただ、当時は同地区にある市地方卸売市場(菰田西・堀池)が移転するかどうか不透明で、具体的な活性化計画を策定するのは困難な状況だった。このため、国から「将来の活性化の姿が見えない」と指摘され、計画の対象から外さざるを得なかったという。

 市は国の財政支援が得られる、基本計画の整備事業を優先。JR新飯塚駅や市役所がある「新飯塚地区」から、本町商店街などがある「飯塚地区」までの対象エリア(約100ヘクタール)では、西鉄飯塚バスターミナルや子育てひろば、ダイマル商店跡のビル建設など複数の事業が実施されたが、菰田地区の開発は進まなかった。

 市は卸売市場を庄内工業団地グラウンド(同市有安)に新築移転する方針を決めたことや、菰田地区の活性化を望む住民の声を受け、昨年12月、隣接する堀池地区も合わせた「菰田・堀池地区活性化基本方針」を策定。JR飯塚駅周辺の再生▽市場跡地利用▽民間を活用した都市機能の整備、誘導-などの検討を進めるとしているが、市都市施設整備推進室の担当者は「具体的な工程は決まっていない」と説明する。

 市菰田交流センターの鬼塚達郎センター長(64)は「飯塚駅周辺や菰田地区は、このままではどんどん人口が減り、高齢化が進む。行政は具体的に再開発を進めてほしい」と話した。

=2019/02/18付 西日本新聞朝刊=

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