小松政夫、故郷・福岡で「マサ坊演芸会」 バナナのたたき売りからしらけ鳥音頭まで

「白髪を振り乱して汗降り散らかして、ぜいぜい言いながら最後にほろっと泣かせるような喜劇ができれば本望」と語る小松政夫
「白髪を振り乱して汗降り散らかして、ぜいぜい言いながら最後にほろっと泣かせるような喜劇ができれば本望」と語る小松政夫
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半世紀の多彩な芸 出し惜しみなく

 博多っ子のコメディアン、小松政夫が「マサ坊演芸会」と銘打った舞台に故郷で臨む。子どものころ親しみ、喜劇人の素地を作った香具師(やし)の口上から「しらけ鳥音頭」まで、多彩な芸を惜しみなく披露する。「これは博多でしか通用しない演芸会」と言い切る小松。その心は?

 生まれは博多の旧瓦町、櫛田神社近くにあった菓子店で育った。店の前にはバナナのたたき売りや蛇の薬売りなど香具師がやって来て威勢のいい口上が響いた。例えば、毛布売り。

 「色は赤と黒のあるよ、赤と黒ときたら、あんた、スタンダールたい。スタンダールやら知っとる毛布屋がおるな? 色が気にくわん? 寝る時は目をつぶるっちゃけん関係なかと…」

 ばんこ(木製の長いす)に座り、興味津々で見入るような子どもだった。

 「博多弁とリズム、ネタの振り回し、子どもながらサクラがいるのも分かったし、これはたまらんおもしろさ。何時間、聞いても飽きなかったんです」

 家では蓄音機で広沢虎造などの浪曲を聴いて物まねをし、小学校の先生から「きょうの飲み会に来て1曲うなってくれ」と声がかかるほどの芸達者に。それが高じて家に友達を集めて「演芸会」を開き、実家の店でくすねてためた菓子を配って物まねを披露した。

 「あれが私の人生の原点です」

シニカルな瞬間芸

 1970年代、テレビのバラエティー番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などに出演し、「電線音頭」「しらけ鳥音頭」をヒットさせ、「あんたはエライ!」「もーイヤ、こんな生活」など次々とギャグを繰り出した。その数、60とも80とも。日本が右肩上がりの時代に、ペーソスも含んだシニカルな瞬間芸は大衆の心を一気につかんだ。

 「自分の体裁が悪いのを打破するため狂気じみていたような気がする。やけくそになって羞恥心を振り払おうとしていたのかもしれない。何であんなにできたのかよく分かりません」

 翻って今はお笑い芸人がもてはやされる時代。そんな風潮にもどかしさを感じ、厳しく見詰める。

 「芸人とは自分を卑下して言う言葉。たかだか芸人風情のことですからご勘弁してくださいってのはあるけれど、もてはやす言葉じゃない。笑いの要素が変わってきたんでしょうか」

狂気秘めた喜劇人

 付き人を務めた師、植木等が80歳でこの世を去って11年。小松は現在、76歳。

 「喜劇人はものすごく早死になんです。三波伸介も東八郎も52歳。由利(徹)さんも80で、そう考えると80が鬼門だと思いますね」

 寿命を意識するようになった小松に石倉三郎がガツンと一言ぶつけた。小松が会長を務める日本喜劇人協会の副会長でもある。

 「最近、(本名の)松崎雅臣になりましたなあ、私は小松政夫が好きなんですけどね、と言われてドキーンとしたんです。年取って妙に分別臭いことを言うようになったんじゃないか。狂気・狂喜を秘めた小松政夫を見たい、と」

 こうした言葉に触発されてか、22日の舞台は、小松にとって原点確認の場であり、半世紀を超えた芸能人生の集大成となる。

 「これからは、目をつぶってでもやれる芸を見せることができればと思う今日この頃でありまーす」

 軽やかな口調はやはり健在だ。

 ◆「小松政夫・笑2018帰ってきたマサ坊演芸会」 22日午後1時、福岡市博多区千代1丁目のパピヨン24ガスホール。前半はトークショー。植木等の手紙やタモリとの写真などを紹介しながら幼少期から芸能人生を振り返る。後半はコントショー。タモリと組んだ「製材所」など伝説の芸を披露。開演1時間前から「電線音頭弁当」「しらけ鳥弁当」を販売。ゲストは熊谷真実、芋洗坂係長、入山学。

=2018/04/16付 西日本新聞夕刊(娯楽面)=

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