旅する印象派(2) 数奇な運命をたどる 九州国立博物館特別展「ビュールレ・コレクション」

ピエール=オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」(1880年)(C)Foundation E.G.Buhrle Collection,Zurich(Switzerland) Photo: SIK-ISEA,Zurich(J.-P.Kuhn)
ピエール=オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」(1880年)(C)Foundation E.G.Buhrle Collection,Zurich(Switzerland) Photo: SIK-ISEA,Zurich(J.-P.Kuhn)
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モンマルトルの丘の上、サクレ・クール寺院の前の広場から見下ろすパリの町並み。印象派の画家たちも近代化する都市を見つめただろう
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エミール・ゲオルク・ビュールレ(1950年頃)Photo:Foundation E.G.Buhrle Collection,Zurich (Switzerland)
エミール・ゲオルク・ビュールレ(1950年頃)Photo:Foundation E.G.Buhrle Collection,Zurich (Switzerland)
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 陶器のようになめらかで白い肌の頬はかすかに赤らみ、栗(くり)色の長い髪が背中と肩を覆う。ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841~1919)の「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛=かわい=いイレーヌ)」は世界中で愛される肖像画の1枚だろう。しかし、モデルとなった少女の両親は、この絵を気に入らなかったという。

 名画は数奇な運命をたどった。

 パリ北部のモンマルトル地区は今も昔も芸術家を引きつける。丘の上のテルトル広場では朝から画家たちがイーゼルを並べ、観光客の似顔絵を描く。入り組んだ小道を散策すると、ピカソも集ったアトリエの跡や、ゴッホが暮らした建物など数々の名所がある。

 この地区の歴史を伝えるモンマルトル美術館は、ルノワールがアトリエを構えた邸宅だった。17世紀の建物が健在なことに驚く。代表作の舞台、ムーラン・ド・ラ・ギャレット(舞踏場)もかつて近くに実在した。

 磁器工房で絵付けの見習いをしていたルノワールは、職場の機械化に伴い画家を志す。サロン(官展)で認められることが成功条件だった時代。旧弊に対抗し、モネやピサロ、セザンヌらと1874年にグループ展(印象派展)を始めたが、たいして作品は売れなかった。ルノワールは4年後、サロンへの出品を再開して入選を果たす。

 「可愛いイレーヌ」を描いたのは1880年。印象派という前衛から伝統に回帰し、ようやく名が売れ始めた時期だ。起死回生を狙った一枚の絵は、時代の大きなうねりに翻弄(ほんろう)されていく。

   ◇   ◇

 ルノワールは支援者を通じて、裕福なユダヤ人銀行家夫妻の8歳の長女イレーヌを描く機会を得た。「本来ならルノワールに頼むなんてありえない。(カロリュス・)デュランら当時の大家に依頼すれば、もっと写真のような肖像画になっていただろう」と名古屋市美術館の深谷克典副館長。確かに顔は写実的だが、服や背景の強い筆触は印象派らしさを残す。雑な絵と思われたのかもしれない。

 ルノワールはイレーヌの妹2人も描いたが、両親は絵を気に入らず、使用人の部屋に置いたという。サロンでの評価が高かったイレーヌの絵も人目に触れなかった可能性は高い。11年後、イレーヌは裕福な銀行家と結婚したが、別れてイタリア人伯爵と再婚。「可愛いイレーヌ」は、最初の夫との間に生まれた娘ベアトリスに引き継がれた。

 1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まる。ヒトラーの美術館構想を実現するため、ナチスは欧州各地で美術品を略奪した。ユダヤ人は目を付けられ、「可愛いイレーヌ」もナチスの手に渡った。所有者の来歴をたどると、ナチスのナンバー2、ヘルマン・ゲーリングの名前が出てくる。略奪された美術品を持ち出し、ベルリン郊外の私邸に飾った“闇のコレクター”である。

   ◇   ◇

 セーヌ川沿いにあるオランジュリー美術館。白い楕円(だえん)形の展示室の壁には、モネの連作「睡蓮(すいれん)」の大装飾画がぐるりと飾られている。水面に浮かぶ睡蓮の絵が、訪れた人々を癒やす。

 終戦後の46年、この美術館でナチスに奪われた作品の展覧会が開かれた。出品された「可愛いイレーヌ」は、戦争を生き抜いたイレーヌ本人に返却された。娘のベアトリス一家は戦時中に強制収容所で亡くなっていた。

 それから3年後、パリで暮らしていたイレーヌは絵を売ってしまう。相手はスイスのコレクター、エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890~1956)。ドイツ南西部プフォルツハイムで生まれ、銀行家の娘と結婚。義父が買収した工作機械会社を再建するため、チューリヒに移住していた。印象派のコレクターとしては後発だったが、武器類をドイツなど各国に売って財をなし、資産を名画につぎ込んだ。その数は、私設美術館に収蔵されなかった作品も含め約600点。終戦後にナチスの略奪品と判明し、所有者に返還したり、所有者から買い直したりしたこともあった。

 美術史に残るルノワールの傑作を、なぜイレーヌは手放したのか。絵の中にいる自分が、幼い頃の娘と重なって見えたとしても不自然ではない。「悲しい思い出が浮かび、つらかったのかもしれない」と深谷さんは語る。世界的に有名な“少女”は再びフランスを離れた。

 ◆「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」 7月16日まで、福岡県太宰府市の九州国立博物館。スイスの実業家ビュールレが集めた西洋美術の傑作を厳選し、64点を紹介する。約半数が日本初公開。目玉はセザンヌ「赤いチョッキの少年」、スイス国外では初公開のモネ「睡蓮(すいれん)の池、緑の反映」など。西日本新聞社など主催。損保ジャパン日本興亜、積水ハウス、ふくおかフィナンシャルグループ、西日本鉄道協賛。観覧料は一般1600円、高校・大学生900円、小中学生500円。問い合わせはNTTハローダイヤル=050(5542)8600。

=2018/05/20付 西日本新聞朝刊

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