松本清張、少年期の詩か 大正期、小倉の同人誌に名前 発行当時は地元の小学生

「松本清張」の名前で掲載されている詩「風と稲」
「松本清張」の名前で掲載されている詩「風と稲」
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1922(大正11)年に発行された同人誌「とりいれ」の表紙
1922(大正11)年に発行された同人誌「とりいれ」の表紙
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松本清張
松本清張
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 北九州市ゆかりの作家、松本清張(1909~92)が12歳のころに書いた可能性のある詩が、地元の同人誌に掲載されていたことが13日、分かった。松本清張記念館(同市小倉北区)によると、少年時代の作品はこれまで一つも見つかっていない。同館は「清張の作品とははっきり言い切れないが、文学を志そうという気持ちが少年時代の清張に、すでに芽生えていたことも考えられ、今後の研究資料になる」としている。

 同人誌は22(大正11)年11月に小倉市(現在の同区)の「とりいれ詩社」が発行した「とりいれ」。「小倉 松本清張」の名前で詩「風と稲」が掲載されている。「何處(どこ)から吹いたか 一つの風 黄ろく實(み)のつた 僕等(ぼくら)をば ピヨン、ピヨン、ピヨンと 飛びまわる」などと、風に吹かれる稲の視点から詠んでいる。

 北九州市八幡東区で古書店を営む今井敏博さん(62)が昨年12月に「とりいれ」を知人から購入。今月、目録を作ろうとして詩を発見した。著書「半生の記」などによると、清張は本名で「きよはる」と読んだとされ、17年に山口県下関市から小倉市へ家族と転居。「とりいれ」が発行された当時、清張は地元の尋常高等小学校に通っており、新聞記者にあこがれを持っていたという。

 同館によると、これまでに確認されている最初の文芸作品は、勤務先の新聞社の俳句会で43年に詠んだ俳句「畑打や山かげの陽の静かなる」。ただ、少年時代に自作の短編を知人に披露したことが「半生の記」に記されている。小野芳美学芸員は「『風と稲』が本当に清張の作品かどうか、現時点では補強する材料もなく判断はできない。その可能性も含めて検討していきたい」と話している。

=2018/06/14付 西日本新聞朝刊=

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