妻お滝からシーボルトへの恋文発覚 国外追放の翌年「あなたを思う毎日…」 西南大教授らオランダで確認

お滝がシーボルトに送った手紙。「3月4日、同7日、同14日の三度の御手紙相届き」と書き始めている(宮崎克則教授提供)
お滝がシーボルトに送った手紙。「3月4日、同7日、同14日の三度の御手紙相届き」と書き始めている(宮崎克則教授提供)
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 江戸時代に来日し、その後国外追放になったドイツ人医師シーボルトに、日本人妻お滝が送った最も古い手紙がオランダ・ライデン大で見つかった。シーボルトへの深い愛が伝わる内容で、調査した西南学院大の宮崎克則教授は「欧州に送られた最も古い日本語のラブレター」としている。

 オランダ語訳の存在は知られていたが、日本語原本の所在は不明だった。ライデン大大学院生が同大の日本関係資料の中で発見し、宮崎教授が確認した。

 シーボルトは長崎・出島のオランダ商館の医師として1823年に来日。遊女だったお滝と知り合い、後に初の日本人女医となる娘イネを授かる。だが、持ち出しが禁止された日本地図を国外に運ぼうとしていたことが発覚し、29年末に国外追放となった。

 手紙は30年12月に書かれた。シーボルトがオランダに戻る途中のインドネシアから同年3月に書き送り、8月に長崎に届いた3通の便りへの返事。オランダのシーボルトの元には31年夏ごろ、届けられたとみられる。

 手紙は全長3・4メートルもあり、「この(3通の)手紙をあなたと思って、毎日、忘れることはありません」「くれぐれも病気にならず元気に暮らしてください」などと記し、娘の様子にも触れている。宮崎教授は筆跡などからお滝が語った内容を第三者が代筆したと分析している。

 お滝が手紙と一緒に送ったとみられる自身と娘の姿が描かれた嗅ぎたばこ入れは現在日本にあり、シーボルトがお滝に送った手紙はドイツにある。シーボルトが59年に再来日した際に、お互いの品を交換したらしい。共に保存状態も良く、宮崎教授は「お互いのことを本当に大事に思っていたのでしょう」と話している。

=2018/10/12付 西日本新聞朝刊=

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