黄檗宗美術の謎に迫る 江戸時代に長崎から全国へ 九博 仏像や書画を本格調査

彫像をあらゆる角度から分析、調査する九州国立博物館の研究者たち=1月、長崎市
彫像をあらゆる角度から分析、調査する九州国立博物館の研究者たち=1月、長崎市
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 江戸時代に中国から長崎に渡った禅僧が開いた「黄檗(おうばく)宗」の寺院に残る仏像や書画について、九州国立博物館などの研究チームが長崎市で初の本格的調査を進めている。制作者や技法、年代など謎の多い作品群の保存状態を確認し、文化財保護にもつなげる。長崎を起点に全国に広まった黄檗文化の実態を明らかにすることで、近世史の新たな断面も見えてきそうだ。

 黄檗宗は、鎌倉時代にもたらされた臨済、曹洞宗と並ぶ日本三禅宗の一派。隠元隆〓(いんげんりゅうき)(1592~1673)が1654年に中国人が多く暮らす江戸期の長崎に招かれ、約1年滞在。教義を広めるとともに、当時の最先端の美術工芸や生活様式をもたらした。煎茶やインゲン豆といった食文化も伝えた。中国人僧侶らが描いた肖像画は独特の画風で知られ「黄檗派」という画派も誕生した。

 長崎市に現在も残る興福寺や聖福寺には、隠元がもたらし、街に浸透した黄檗文化の彫像や絵画、茶道具が数多く残っているが、美術史的な調査は進んでいなかった。

 研究チームは、福岡市美術館の錦織亮介館長(仏教美術)を中心に、九博や長崎歴史文化博物館の研究者で構成。長崎県の補助制度を活用し、昨年9月から文化財の写真撮影や材質分析を続けている。

 これまでに調べた数百点の中には、聖福寺に残される関帝像(三国志の武将関羽を神格化した像)や、原爆で焼失した福済寺を再建する際、隠元が京都・宇治に開いた黄檗山萬福寺から譲り受けた本尊など、初調査の文化財も含まれる。

 研究成果は報告書にまとめる予定で、長崎歴文の長岡枝里研究員(近世絵画史)は「民衆の生活に溶け込んだ黄檗文化を調べることで近世長崎の文化の全容を明らかにしたい」と話している。

※〓は「おうへん」に「奇」

=2019/02/17付 西日本新聞朝刊=

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