自身の悔しさ糧に…五輪選手育てた名監督 レスリング部一筋32年 総体で20回優勝、強豪校に [福岡県]

熱心に指導する森岡さん(左)
熱心に指導する森岡さん(左)
写真を見る
「昔はスパルタと恐れられていました」と明かす森岡敬志さん
「昔はスパルタと恐れられていました」と明かす森岡敬志さん
写真を見る
五輪に2度出場した池松和彦さん(右)
五輪に2度出場した池松和彦さん(右)
写真を見る

 小郡市の県立三井高でレスリング部の監督を務める森岡敬志さん(54)は現役時代、五輪出場にあと一歩届かなかった。だが、その悔しさを糧にして指導に情熱を注ぎ、県高校総体で優勝20回を誇る強豪に押し上げたほか、五輪にも教え子を送りだした。三井高一筋32年。選手育成と同時に、レスリング界発展のための環境づくりにも力を入れている。

 「いいタックルだ。そのまま抑え込め」「体重を掛けて相手の動きを止めろ」。校内の練習場で、男女13人の部員にくまなく目を配る。気になる動きがあれば部員と組み合い、素早い動きで手本を見せる。「はい、もう一回やって」。反復させることで動きを体に覚えさせることが目的だ。

 鹿児島県曽於市出身。中学生まで柔道に励んだが、進学先の鹿児島商工高(現樟南高)でレスリング部監督からスカウトされた。猛練習で実力をつけ、高校3年で国体を制覇。卒業後、日本体育大に進学し、1984年にはロサンゼルス五輪の選考会最終予選の決勝に進んだ。

 あと1勝で五輪への切符が手に入る大一番だったが、「力の差を見せつけられた」。敗れたのは、同五輪のフリースタイル57キロ級で金メダルを獲得することになる富山英明さん。「悔しさを忘れず、九州で五輪に出られるような選手を育てたい」と誓うきっかけになった。選考会後に猛勉強し、高校の教員免許を取得。地元の鹿児島県では高校教員の募集がなかったため、福岡県の採用試験に合格し85年に三井高に赴任した。

 当時、学校にはレスリング部がなく、教員2年目に部を立ち上げた。最初は柔道部の畳がマット代わり。それでも部員を鍛え上げ、創部5年目で県高校総体の団体で優勝を飾った。

 全国総体の団体で準優勝した95年に同校に入学したのが、2004年アテネ五輪、08年北京五輪に出場した池松和彦さん(38)。「柔道の経験があり、柔軟性はすごかったけど、体力や技術はまだまだ。努力家だったことが何よりの強み」と振り返る。池松さんは高校3年間で1度も練習を休むことはなく、居残りで黙々と体を動かしていたという。現在、福岡大レスリング部監督を務める。

 今後の目標はレスリング界の発展だ。五輪のレスリング女子で4連覇中の伊調馨選手や、3連覇の実績を持つ吉田沙保里選手の活躍により、近年競技熱は盛り上がりを見せており、子ども向けの教室は盛況が続いている。

 「それでもレスリングは野球やサッカーに比べてまだまだマイナー競技。競技人口を増やすためには環境の充実が不可欠」。こんな思いが募り、10年ほど前から3歳~中学生を対象にした大会を実施。現在では九州を中心に300人ほどが競う大会に育った。保護者や競技関係者にレスリングの魅力をアピールする大切な場となっている。

 教員には異動がつきものだが、指導力や実績が評価されたこともあり、文字通り腰を据えて三井高の選手たちと向き合い続ける。「レスリングに出合っていなければ、ここまで充実した人生は送れなかった。恩返しのためにまだまだ頑張らないと」。練習に没頭する部員を見守る目は温かかった。

=2018/03/10付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]