南北朝勢力が激突、大保原合戦から659年 慰霊祭と記念講演会 小郡市 [福岡県]

「大保原合戦」の死者を悼む高卒塔婆前での慰霊祭
「大保原合戦」の死者を悼む高卒塔婆前での慰霊祭
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「筑後の南北朝時代」をテーマに、スライドを使って講演する水原道範さん
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 14世紀の南北朝時代、現在の小郡市一帯で南北朝両軍が戦った「大保原合戦」(筑後川の戦い)があったとされる6日、市内で合戦にちなむ二つの催しがあった。

 合戦は1359年、南朝方の征西将軍・懐良親王を奉じた菊池武光勢と、北朝方の有力武将少弐頼尚勢がぶつかった戦い。軍記物語「太平記」にも記され、南朝方は1800人以上、北朝方は3400人以上が討ち死にしたとされている。

 合戦の戦没者を供養する小郡市大保の「高卒塔婆」の前では慰霊祭が開かれた。1972年、隣接地に陸上自衛隊小郡駐屯地の自動車訓練場が開設されて間もなく、金縛りに遭う隊員が相次いだのを機に始まったとされる。地元の保存会が主催し毎年開いている。

 慰霊祭には地元住民と自衛隊、市関係者ら約30人が参列。加地良光市長が「鎮魂と平和への祈りを込め、戦いを後世に伝えなくてはいけない」とあいさつ。読経や焼香もあった。

 一方、小郡市三沢の市埋蔵文化財調査センターでは、大保原合戦の記念講演会があった。「筑後の南北朝時代 大保原の合戦を中心に」と題し、久留米市文化財保護課の水原道範さんが講演した。

 水原さんは北朝と南朝がそれぞれ起こった歴史的背景をひもとき、九州で展開された戦いの数々を紹介。その中で大保原合戦は南北朝双方の勢力に損害が大きく、「その後、南朝が九州を支配するまでさらに2年を費やさざるを得なかった」と説明した。

 大保原合戦は日本三大合戦の一つともされ、市内外にゆかりの史跡も数多い。歴史ファン約80人が参加し、盛んに質問した。

=2018/08/10付 西日本新聞朝刊=

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