岩倉具視ら明治の実力者の書簡60点 最後の三池藩主に送る 歴史資料館が発見、10月公開 [福岡県]

三池立花家が所蔵していた幕末から明治初期にかけての書簡
三池立花家が所蔵していた幕末から明治初期にかけての書簡
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立花種恭(三池カルタ・歴史資料館提供)
立花種恭(三池カルタ・歴史資料館提供)
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 大牟田市立三池カルタ・歴史資料館は12日、三池立花家から寄託された三池藩(大牟田市南部)最後の藩主・立花種恭(たねゆき)(1836~1905)の関連史料(約150点)から、幕末から明治初期にかけて公家の岩倉具視や三条実美、初代文部卿(文部科学大臣)の大木喬任といった明治新政府の実力者から送られた書簡約60点などが見つかったと発表した。近代史に残る著名な政治家や文化人の書簡が大量に見つかるのは珍しいという。

 種恭は、小藩ながら14代将軍家茂の側近として老中格兼会計総裁に就任。廃藩置県で三池藩知事を免じられた後は華族学校(現学習院大)の初代校長を務めた。史料は種恭から5代目に当たる現当主が先代から引き継ぐ際に出てきたという。

 見つかった書簡(別人宛ても含む)は約20人の筆で、岩倉や三条のほか、剣や書の達人として知られる山岡鉄舟、近代軍制を整えた山県有朋、外相を務めた陸奥宗光など多彩。岩倉からの書簡は、宣教師フルベッキ氏夫妻を招いた宴の準備に感謝を示し「料理その他は異存なし。席順は別紙の通りお改め下されたし」などと指示する内容。最も多い7通が見つかった三条からの書簡では、華族の交流目的で設置された華族会館を巡り「参集し評議したい」と種恭に求めている。

 書簡以外でも、ペリー来航を巡って幕府に対し「武備の強化を」と訴える意見書の控えもあった。梶原伸介館長は「種恭の幅広い交友がうかがえ、指導者たちの日常の一端も垣間見える貴重な史料」と話している。

 書簡を含む史料の一部は10月2日~12月9日(月曜と最終木曜休館)、同館の企画展「三池立花家の近代-立花種恭と激動の幕末維新」で公開する。入場無料。同館=0944(53)8780。

=2018/09/13付 西日本新聞朝刊=

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