星野村とうきは市、耳納連山越えつながり かつては同じ生葉郡 合瀬耳納トンネル開通 [福岡県]

星野氏の末裔が星野村内に建立した墓所。年に1回、慰霊祭が営まれ、うきは市側からも参列する
星野氏の末裔が星野村内に建立した墓所。年に1回、慰霊祭が営まれ、うきは市側からも参列する
写真を見る
星野村の鷹取山には星野氏の出城「鷹取城」があった。頂上からはうきは市内が見渡せる
星野村の鷹取山には星野氏の出城「鷹取城」があった。頂上からはうきは市内が見渡せる
写真を見る
昨年12月に開通した合瀬耳納トンネル(星野村側)
昨年12月に開通した合瀬耳納トンネル(星野村側)
写真を見る
写真を見る

 八女市星野村とうきは市浮羽町をつなぐ合瀬耳納(おうぜみのう)トンネル(2・6キロ)が昨年12月に開通した。冬季にたびたび凍結する合瀬耳納峠を通らずに済み、所要時間も短縮された。トンネルに向かう県道沿いには「祝 合瀬耳納トンネル」ののぼりが目立つなど地元の“歓迎っぷり”は予想以上。調べてみると、星野村とうきは市の歴史的な深いつながりがあった。

 「トンネルを通ると、うきは市のスーパーまで15分ほどで、八女市中心部よりも近い。これまで雪が降れば4、5日は通れなかったけど、その心配もなくなった」。八女市との合併前の星野村長だった高木良之さん(71)は早くも効果を実感する。「村にはうきは市内の寺の門徒もいるし、親戚がいる人も少なくない。日常生活以上に大きな意味がありますよ」

 星野村とうきは市は隣接しているとはいえ、標高802メートルの鷹取山を最高峰とする耳納連山が隔てている。関係が深いとは少し疑問だ。村の歴史に詳しい県地方史研究連絡協議会長の佐々木四十臣さん(73)に聞くと意外な答えが返ってきた。「星野村とうきは市は、もともと同じ生葉(いくは)郡だったからですよ」

   ◆    ◆

 郷土史によると、星野村が八女郡となったのは明治に入ってから。それまでは星野村とうきは市の大部分は生葉郡と呼ばれていた。村は今でこそ八女市中心部と幹線道路で結ばれ、車で30分ほどで行き来できるが、佐々木さんいわく「古来は山々に囲まれて隔絶された場所」。耳納連山を越えたとしても距離の近いうきは市側の方が往来しやすかったという。

 平安時代には既に生葉郡とされていた文献が残っており、鎌倉時代に入ると現在の八女市黒木町を拠点としていた黒木氏の分家、星野氏が星野村とうきは市側の耳納連山北麓を支配するようになった。星野氏は18代にわたって生葉郡に勢力を維持。現在のうきは市吉井町に延寿寺(現妙福寺)を創建しており、村に門徒が暮らすゆえんとなっている。村には明治時代、星野氏の末裔(まつえい)が慰霊のために建立した墓所が残る。

 一方で「時代が進むにつれて西部の上妻郡(八女郡の前身の一つ)への道が整備され、物流などを通じてつながりが深くなっていった」と佐々木さん。村民は明治維新を期に上妻郡への編入を希望し、請願運動が起こった。1896(明治29)年、村は新設された八女郡の一部に、耳納連山から北は浮羽郡となり、生葉郡は終わりを迎えた。

   ◆    ◆

 星野村は2010年、八女市と合併した。「実は合併が議論されていた頃、星野村の一部では浮羽郡側と一緒になりたいという意見も聞かれた。当時、トンネルがあったら、その意見はもっと広がっていたかもしれない」と高木さん。

 トンネル開通を観光振興に生かそうと、八女市とうきは市は特産物の八女茶と果物を連携させる「フルーティーランド構想」を進めている。一度は分かれた両地域。地域浮揚を目指して再び手を取り合う今後に期待したい。

=2019/02/09付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]