半年以上の外出禁止 葦ペン 筑豊絵巻 画家・諸藤浩之さんに聞く(5) [福岡県]

結核で療養中に描いた保養所家庭寮の風景。葦ペン画家として歩み始めた=1956年6月3日作(諸藤浩之さん)
結核で療養中に描いた保養所家庭寮の風景。葦ペン画家として歩み始めた=1956年6月3日作(諸藤浩之さん)
写真を見る
結核のため篠栗の保養所で療養していた頃の諸藤浩之さん
結核のため篠栗の保養所で療養していた頃の諸藤浩之さん
写真を見る

 少しさかのぼって、葦(あし)ペンとの出合いを話したいと思います。県立嘉穂東高(飯塚市)の教諭だった1956年に右の肺に結核の病巣が見つかりました。その年の4月、篠栗町にあった教員保養所で療養生活を始めました。4月から半年以上、終日絶対安静の「絶安」生活です。ベッドの上で体を拭いてもらい、用も足した。病棟に缶詰め状態でね、外出は許されませんでした。つらかったですね。

 でも、比較的症状が軽く、経過も良かった。同年11月から周辺を出歩くことができました。保養所近くの溝に葦が生えていました。その葦をナイフで切って、茎を削って葦ペンにしました。最初は削るのも下手で、でもそれがかえっていい味の線が出ました。

 なんで葦ペンを知っていたか? オランダの画家のゴッホ(1853~90)が、葦ペンでセミを描いていたことを知っていました。私は昆虫採集が好きでしたから、その延長上でゴッホのまねをして葦ペンで描いてみようと思ったのが、そもそものきっかけです。保養所内の売店で画用紙、墨汁を買って描き始めました。墨汁がいまいちだったので、見舞いに来る家内に文具店で「製図用」インクを買ってきてもらったら、それが一番良かった。今使っているインクも製図用です。花とか、同じ療養仲間の顔も描きました。クラブもつくった。私の影響を受けて他の仲間も葦ペンで描くようになって、保養所内で展示会もしましたね。

 散策を許されてからは、保養所周辺がお遍路道だったので札所を回ったり、近くの家庭寮の風景を描きました。療養中に描いた数は、花や人物など100や200じゃなかったと思います。退所できたのは59年春。嘉穂東高の教員に復帰するまで3年かかりました。

 ◆連載「葦ペン 筑豊絵巻 画家・諸藤浩之さんに聞く」
 福岡県飯塚市の葦(あし)ペン画家、諸藤浩之さん(93)は筑豊ゆかりの自然や街並み、著名人などを描き続けて60年になる。2万5千点近いという作品の数々は、シンプルな筆致の中にどこか郷愁を誘う魅力がある。この連載では、諸藤さんと葦ペン画を通して、筑豊の今昔をたどる。

=2017/04/11付 西日本新聞朝刊(筑豊版)=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]