筑陽日日新聞を公民館で発見 大正・昭和初期の地域紙 飯塚の郷土史家・竹下さん [福岡県]

飯塚公民館に展示されている筑陽日日新聞の紹介パネル
飯塚公民館に展示されている筑陽日日新聞の紹介パネル
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1936年6月3日付の筑陽日日新聞
1936年6月3日付の筑陽日日新聞
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 大正、昭和期に現在の飯塚市中心部で発行された筑陽日日新聞のコピーが、飯塚市本町の飯塚公民館で展示されている。郷土史家の竹下茂木さん(73)が発見し、飯塚の経済や教育に関する記事、嘉穂劇場や料亭などの広告を掲載。昭和初期の地域紙を調査した嘉麻市教育委員会の学芸員青山英子さん(59)は「国により地域紙が統廃合される前の新聞で、あまり残っていない。貴重な資料」と話している。

 飯塚市誌によると、1914年10月、田中保蔵氏が月10回発行の飯塚報知新聞を発行。18年2月に筑陽日日新聞と改題し、4ページの日刊新聞となり、「常に一貫したる立場と主張を以(もっ)て郷土開発の先駆をうけたまわり、歳と共に声価をたかめた」とされるが、41年、政府による「1県1紙」の新聞統制で廃刊したという。

 竹下さんは約2年前、昔の資料を探そうと、東町公民館で写真を整理。昭和初期に撮影された地域の老人会の写真が入った額を開けると、写真と額の隙間を埋めるために、新聞が挟まっていたという。現物は傷みが激しいため、コピーした上で「多くの人に見てもらおう」とパネルにした。

 新聞は36年6月3日付と39年1月7日付。ともに4ページで、36年の1面のトップニュースは関税引き上げによる毛糸などの値段高騰とそれに伴う衣服の値上げ。教育、国際ニュース、嘉穂劇場で開かれる大歌舞伎の演目や市役所の職員募集などの広告、小説も掲載されている。

 39年になると、「支那事変の行方」、「国防と食糧と栄養」、「戦地行き小包 昨年より3割方増加」などの見出しが並び、戦時色の強まりが垣間見える。

 竹下さんは「ニュースと広告で昭和初期の市民の生活を知ることができる。今の新聞と比べるのも面白いですよ」と話している。

 公民館には51年発行の飯塚市報のパネルも展示。市報は当時、1部5円で販売していたという。各パネルは3月下旬まで展示予定(3月4、18日を除く)。

=2018/02/24付 西日本新聞朝刊=

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